下タ沢会によせて(覚書)

大区小区制から10ケ町村誕生まで(明治22年)

 ともあれこうしておよそ10年間迷走の上、やっと元の鹿角にもどったわけですが、 七、八、九と3小区にわけられた時代から、明治22年の10ケ町村になるまでの動きを 表にしてみると、次のようになる。
※村(村の文字)を省略。
七小区
 大湯  − 大湯村(明治10年)
 根市  −  〃
 箒畑  −  〃
 腰廻  −  〃
 関上  −  〃
 一本木 −  〃
 倉沢  −  〃
 宮野平 −  〃
 風張  −  〃
 草木  → 草木村  − 以上、大湯村(明治22年)
 
 冠田  − 錦木村(明治9年)
 室田  −  〃
 沢尻  −  〃
 浜田  −  〃
 古川  −  〃
 
 曲谷地 −  〃(合併年不明)
 根市戸 −  〃
 五軒屋 −  〃
 申ケ野 −  〃
 
 神田  − 末広村(明治10年)
 松山  −  〃
 大欠  −  〃
 土深井 −  〃   − 以上、錦木村(明治22年)
 
 蟹沢  − 岡田村(明治9年)
 中野  −  〃
 瀬田石 − 瀬田石村(明治9年)
 石野  −  〃
 毛馬内 → 毛馬内村 − 以上、毛馬内町(明治22年)  
 荒川  − 荒谷村(明治9年)
 万谷  −  〃
 大地  → 大地村
 鴇   − 上向村(明治9年)
 鳥越  −  〃
 長坂  −  〃
 牛馬長根 − 〃
 赤坂
 芦名坂 − 山根村(明治9年)
 高清水 −  〃
 長者久保 − 〃   − 以上、七滝村(明治22年)
 
 小坂  − 小坂村(明治9年)
 濁川  −  〃
 野口  −  〃
 小坂鉱山 →小坂鉱山 − 以上、小坂村(明治22年)

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