下タ沢会によせて(覚書)

戊辰戦争

 という次第だが、解題のはじめの方に三沢から約600人が動員されたといっている が、続く記事の中に何月何日、どこへ何組などと書いているので、足してみたが合 わないので、日記の中をさがしてみたら、5月19日という日付の項の中に「御警衛人 数覚」というのがあって、動員された各沢の編成が書かれている。これは一つ何々 と書いているので、これは一つ、一つ、はまぎらわしい気がするので、一つの代り に○とした、また各沢の所は◎とした。
 
  ◎獅子沢出張人数覚
○佐藤吉弥 上下七人 ○回銅御支配人 内田伝五郎
○御医師 村木春嶺 上下弐人 手伝勝治  上下弐人
○御台所寸甫御用勤 内田慎吾 上下弐人
○日払主役 忠蔵 ○勝右エ門舎弟 岩尾伝治
○重右衛門舎弟高橋駒五郎
 ここまでがいわゆる御籏本といわれるようで、次に、
○小組頭床屋主役 福治 として忠七、市太郎と名前を書いて〆拾人。以下同様 ににして12組書いて、行を改めて、
 但し一ト組ニて鐘太鼓御旗持手代り相勤可申事、次に〆拾弐組此人数四拾四人
 内拾弐人小組頭 百三拾壱人組子(11人組が1、他は10人)
 
  ◎田郡出張人数覚
○山本喜代太 上下五人 ○御山先奈良廣見 上下弐人
○御台処寸甫御用勤川口理仲太 上下弐人
○三沢廻寸甫御用勤青山虎之助 上下弐人
○三沢御山方 周一郎 ○廣見嫡子 奈良勇次郎
○吉右エ門次男 沢出善六郎 として次に、
○小組頭田郡御山方 直吉 組子拾人(組子の名前は書いていない。元山、赤沢も 同様である)。として行を改めて、
 但前一ト組ニは太鼓鐘籏持手代り共々相勤可申事
 外に 善太 卯之吉(太鼓や鐘など持つ組にこの二人が入るということか?)
 合拾三組人数百四拾弐人
  内拾三人小組頭 百弐拾五人組子(9人組が1、他は10人)
 
  ◎元山出張人数覚
○飯岡庄次郎 上下五人 ○御山先岩尾勝右衛門 上下五人
○御山先青山庄蔵 上下弐人 ○御台処寸甫御用勤沢出善一郎 上下弐人
○三沢廻寸甫御用勤岩尾東馬 上下弐人
○勝右衛門次男 岩尾金策 同
○小組頭元山御山方勘右衛門 組子拾壱人として13組
 但前一ト組ニは太鼓鐘籏持手代り相勤可申事
 合三組人数百五拾壱人
  内拾三人小組頭 百三拾八人組子(組子11人が9組ある)
 
  ◎赤沢出張人数覚
○下間勇二郎 上下五人 ○川口与十郎 上下弐人
○沢出善右エ門 上下弐人 ○高橋健治 上下弐人
○小組頭赤沢御山方 庄六 組子拾壱人として10組
 合拾組人数百拾壱人 (太鼓鐘などの記事はない)
  内拾人小組頭 組子百壱人(11人組が1、他は10人組)
 
 惣人数
  合六百三人
   内五拾六人  御籏本
    四拾八人  小組頭
    四百九十九人 組子

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