鹿角の昔ばなし@:特集 八郎太郎三湖伝説 秋田の民話:辰子姫物語B |
「辰子よ、辰子よー。」 辰子の母は湖にむかって気も狂うばかりさけびつづけた。しかし水の面はしんとしずまりかえり、小波がちらちらと光るばかりだった。しかし辰子の母はひるまず声をしぼった。 「辰子よ、辰子よー。」 その時、湖の果にぼうっとうすらあかりがさしたかとみるまに、ざばざばと水しぶきをあげて竜が姿をあらわした。辰子の母は身もだえした。 「辰子、辰子、わたしの娘はそんなおそろしい竜ではない。わたしの娘や、あの美しい、かわいい辰子……。」 その声がきこえたのか、竜はふたたび波間に姿を消したが、ふと気がつくと母のそばの波間近く、いつに変らぬ輝やくばかり美しい辰子が立っていた。 「おう辰子、さあ早くかえりましょう、さあ早く!」 辰子はしずかに首をふった。 「お母さん、お許し下さい。私はもう人間ではありません。さきほどの竜こそ私なのです。今までおはなししませんでしたけれど、私は永遠に変らぬ美しさを神さまにおねがいしたのです。そのねがいかなって竜の姿となり、この湖のぬしとなってすむことになりました……。」 それをきくと、辰子の母は声をあげて泣いた。 「いいえ辰子、いけません。さあその姿のままいっしょに村へかえりましょう。母さんはいやだ。お前が竜だの神さまだのになるより、人間の娘の辰子でいてほしいのだよ。」 辰子はかなしげに母の言葉をきいていた。 「お母さん、もうなげかないで下さい。私までかなしくなりますもの……。 お母さん、お母さんはお魚がお好きでしたね。これからも母さんの水屋には、お魚は不自由させません。どうかそのお魚をみるたびに、辰子は湖でいつまでも若く、美しく、仕合わせにくらしでいるとお思いになって……。 さようなら、これでお別れいたします。もうお目にかかれません。みなさまもごきげんよう。」 いいおわるや、辰子の姿はみるまに竜となり、湖の底ふかくしすんでいった。 「辰子、辰子、まっておくれ、辰子。」 辰子の母は声をかぎりにさけんだ。しかし、もうあたりはひたひたという水の音と、木立をわたる風の音しかきこえなかった。村人たちも、もくもくとうなだれるばかりであった。 むせびなきながら辰子の母は、手にした燃えののりの木の尻を、力なく湖へなげすてた。と、どうだろう、ふしぎなことにその木の尻はみるまに一尾の魚となり、尾をふって泳ぎ去っていった……。 泣きつかれた辰子の母は、村人たちにかかえられ、ようよう家へたどりついたが、その後辰子のいったとおり、水屋の水槽には一年中はつらつとして魚が絶える時がなかったという。 (附記) しかし、八郎潟の八郎とは深いちぎりをむすび、寒い冬になると八郎は田沢湖ヘやってきて辰子のもとで冬をすごす。そのため田沢湖は冬でも凍ることなく、年々その深さを増しているという。反対に、ぬしが留守がちの八郎潟は氷がはりつめ、年ごとに浅くなっていくと伝えられている。 八郎潟から田沢湖の間には、点々と次のような話が伝わっている。毎年冬になると必らず泊まりにくる旅人があっった。寝姿をみてくれるなというので不審に思い、ある年そっとのぞいてみると、旅人は竜の姿になって眠っていた。これこそ田沢湖へかよう八郎であったろうという。 以上、下総次郎先生、富木友治先生、榊田凌次郎先生のお話、その他資料を集めてまとめた。 |