鹿角の昔ばなし@:特集 八郎太郎三湖伝説 秋田の民話:八郎物語B |
さて、はるか岩木山の南へにげてきたきた八郎は、旅人の姿に身をかえて、新しいすみかをもとめてさまよっていた。 かつて、八郎が人間であった大昔とは、あまりにもちがう今の世の中だった。人間どもは野にもうじうじと住みついて、それが天神とか、ごんげんとか、八郎の見もしらぬ神や仏をあがめてくらしていた。 いつのまにか人間どもの中には、じょっぱり(意地っぱり)や、しびったれ(しみったれ)や、だじゃく者(なまけもの)がふえてしまった。 小さな土地をとりあって、みにくいけんかもしてれば、人間が人間を、牛や馬のようにあつかう者もあり、また、あたりの山を一人じめにして、いばって暮らしている長者もいた。 そんな人間の世の中だったから、八郎はどこへいっても追いたてられて、心の安まる暇もなかった。 まず、杜葉(ゆずりは)、長嶺の山から南へかけて、北上川の水をせきとめようとすれば、人間の飼いならした犬どもが、グェングェンとほえたてて、八郎めがけてかみついてきた。 そこで、昔の故郷の鹿角へもどってきて、山をかついで川をとめようとしたら、ここでも四十ニ体をかぞえる鎮守の神々が、金槌(かなづち)をたたき、石をなげてじゃまをした。 こうして、神々やら人間どもに追われ追われて、八郎は米代川を東から西へ、むこうの山かららこっちの谷へ、足あとやらしりのあとを残してにげまわった。それでも、やっと、いまの二ッ井町のあたりまできて、どうにか川をせきとめて、小さな湖をつくることができた。 八郎はむさぼるように水をのみ、岩かどに体をぶつけをがらも、久しぶりにとろかろといねむりをはじめた。しかし、この八郎の幸せも長くはつづかなかった。まもなく、ここでも七座(ななくら)の天神たちがさわぎだした。天神はおびただしい白ねずみを集めて、湖の土手に穴をあけてしまった。 水は渦をおこし、洪水となって流れだした。 夢をやぶられた八郎は、波におされてのたうちながら海の方へでていった。 この時から、八郎の心もすっかりあらけてしまい、神々と人間どもを相手に、まるできちがいのように四方八方あばれまわった。 黒雲をよぴ、千から万の雷をならし、滝の雨をふらせては、空をかけ地をはって……そのたあめに、この地上は洪水のたえる間もなくなった。家は流され、田畑も荒れて、多くの人間が次々と死んでいった。 さて、星のかずもかぞえるばかりの暗い夜のことである。 八郎は何年ぶりかで旅人に姿をかえて、ふと、男鹿(おが)の浜へおりたった。いまは住む家もないあれはてた砂原を、天瀬川がほそぼそと海へむかって流れていた。ひょうひょうとわたる潮風にふかれながら、八郎は灰色と暗やみの砂浜と海の境をさまよっていった。 八郎は心から神々や人間どもを憎んでいたが、一人だけのいいようのないこの淋しさは、一体、どうしたわけだろう。 八郎は人間どもを憎みながら、また、はげしく人間にかえりたいと思っていた。 くろぐろと浮かぶ男鹿の山を見つめながら、いつのまにか八郎は涙の雨を落としていた。遠い昔の、三治や喜藤のことを思いだしていたのである……。 鬼もとっくりかえすはどの力もちであったが、心はわらしのようで、それで、まだはぎをしていても、山のけものや川の魚をおいかけても、いつも心のとけあっていた三人であった。 美しく、たくましくあった昔の思い出が、.いま、生き生きと八郎の胸にかえってきた。 だども、この灰色と暗やみの限りない淋しさは……。 八郎はもう、がまんがならなくなって、 「三治よーう、喜藤よーう」 と、大声あげて叫ぼうとしたが、あの、やけつくようなのどのかわきがこみあげてきた。 「んだ。新しいすみかを作らねばなあ。おらはやっぱり竜だもの、ここに湖をつくらねばなあ…。」 いつのまにか東の阿仁の山から、かすかに夜あけのにおいがただよってきた。 「んだ。にわとりがなくのを合図に、おら、この砂原を湖にかえるで……ここなら人間もいねし、じゃまする者もいないだろう……。」 この時、遠くの山すその方から、にわとりのなく声が聞こえてきた。 八郎はどろどろと黒雲をよんで、すぐ仕事にとりかかった。山なりをおこし、空ににはギナギナと稲妻を走らせ、千から万の雷を一度に地上めがけてなげつけると、山はざくろのようにわれて、岩はころがる。地はさける。もう、あちこちからごうごうと水煙をあげて津波がおしよせてきた。 「おれの新しいすみかだ。おれの新しい湖だ!」 八郎がよろこびの叫びをあげてねまわると、おしよせる波のむこうから、かすかに人間の悲鳴が聞こえてきた。 このあたりには人間など一人もいないと思ったのに……よく見ると、暗い濁流の渦にまかれて、一そうの小舟が木の葉のようにもまれている。舟には一人の老人がのっていて、けんめいに流れにさおをさしてなにやらさがしもとめているようだ。 だまって見ていた八郎は思わずあっと息をのんだ。 濁流の中を浮かんではしずみ、浮かんではしずみ、一人の老婆が流れてくるのだ。老人はその老婆を助けようとしてまた、あっというまに舟もろとも波にのまれてしまった。 八郎はもう、なにも考えないで、その濁流をひろい胸でうけとめた。 老人と老婆が水の中でこまのようにまわりながら、こちょらかちょらと八郎の胸にあたった。 「ほれ、あぶねでねか。水のめば死んでしまうものなあ。」 八郎は老人と老婆を指でつまみあげ、右と左のひざで、つぎつぎと岸の方へとばしてやった。 ほい、ほーいと老人と老婆は空をとび、右の岸と左の岸へおっこちて、それから二人は八郎にむかって手をあわせた。 「命たすかってよかったなあー。じさもばさも、まめでなあーい。」 八郎は明るく笑うと、ぴらっと空を見あげて、それからざばざばと水の底へ沈んでしまった。 うして、八郎の新しいすみかは、まんまんと水をたたえて八郎潟になった。 北の海が.どぴーん、どぴーんと波をけあげても、八郎潟はいつもすがんとしずまりかえっいたから、水の中にはたくさんの魚がすみつき、水の上には、また、たくさんの水鳥がむらがった。 そして、一度はあらくれた八郎の心も、いまは潟の水のようにしずまって、水の底で魚どもと遊びながら、 「あい、もちょこて(くすぐったい)なあ。魚よう、そんなに腹や陶、こちょがすでね!」 と、わらしのように叫んでいる。 (附記) 八郎太郎の伝説は、そのかず多い断片と、いつの時代かに物語化されたそれほど古くない記録とから成り立っています。私たちが興味をもったのは、実は八郎太郎に関する伝承の上でのかぎりない断片や後日譚でありましたが、しかし、今日ではいわゆる物語化された記録をもとにして語られているようです。また、最近は新しい八郎物語として、八郎をなにか農民の英霊にしたてて、書物にも描かれているようですが、私たちの研究の範囲では、それはやや早計のようにも感じとれます。 その理由は、秋田の八郎太郎と信濃の小泉小太郎を比較してみると、ここに面白い問題がおきてくるからです。つまり、小泉小太郎は母の犀竜と共に湖の水を干して平野をつくり、多くの農民を助けますが、秋田の八郎は逆に平野に湖をつくって、神々や人間たちに追われていく身の上となるからです。 ところが二人の生いたちをみると、小太郎は信濃の独鈷山にすむ坊さんと女の大蛇との間に生まれますが、八郎太郎は秋田の独鈷村の坊さんの妻と、男の大蛇との間に生まれたその十代目の子孫ということになっています。これは、いかにも後世のこじつけではありますが、面白いのは、二人の生いたちの類似と、その対象的な運命の相違です。 信濃では農民の英雄が育ち、秋田では悲運の反逆児が育ったという事の中に、歴史の謎が含まれているようです。これを明らかにするには、やはりこの種の古い伝説の発生期にまでさかのぼり、そこから時代をへて、次第にわかっていく姿をとらえねばなりませんが、これはもう私たちの手にはおえません。そこで、まずこの再話の上では、悲運の反逆児という性格をはっきりさせるだけにとどめました。 やたらに英雄にまつりあげられることは、正直な八郎にとっても、やはりにがにがしく感じられる事とも思われますので、これからも八郎太郎の研究を深めて、しっかりとした人間像をうちたてたいと思っております。 また、この物語の後日譚やその他の断片については、すべて紙数の関係ではぶきました事をおわび致します。 再話 瀬川拓男
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