すぐれた自然の作沢沼

子分沢長者物語伝説

 今を去る約1千2百年前に曙村(鹿角市八幡平地区)小割沢に長者が住み、 下男下女数十名を使い、農耕にいそしんでいました。米を製するときに生ずる 糠が積もって糠森を形成する程といわれています。糠森は、長者屋敷と共に現存 している。
 
 この長者がだんだん栄えてきた頃、「おなめ(妾のこと)」を持ち、「もとめ (本妻)」との間がうまくいかず、築き上げた長者の位もゆらぐ有様になってきました。 それを見かねた「もとめ」は、自分の故郷仙北へ帰ることになりました。
 そこで、生みの子供を分けて、手長足長(下男下女)を従い、手に手に「へそ」 「つづら」「手代石(てしろいし)」を持ち出発しました。山を越えて樫内の下もに ある岩上神社(お不動様といっている)が氏神なので、そこへ参詣しました。
 
 ところが先を封じて「おなめ」は、鍋で毒を煎じて川へ流し、「もとめ」の命を 奪おうと企てたが、失敗しました。
 そうしているうち、下女の中より、「おふじ」という者がでて、「もとめ」の行末 を案じ、故郷へ帰るのを止めようと袖がちぎれんばかりに引き、そこで二人は悲しみに むせび、分れがたき姿となりました。一方、手長足長は、いくら待っても来ない 「もとめ」の姿を哀れに思ったことでしょう。そこに数々の遺蹟として昔を 偲ぶ姿となったということです。
 
 子供を分けたところから、子分沢といわれ、部落名登記の時に、小割沢の文字が 使用されました。
 「へそこ玉」「なべこ石」「おふじ石」「手代石」「つづら石」など 道路の左右に眺められます。「つづら石」のある山は、今は蛇長根と称されているが、 本当は仙北長根といって、仙北郡に通じているそうです。

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