鹿友会のこと 「はじめに」 |
△「鹿友会とは」その三 − 「鹿友会五十年史」明治時代 |
この明治最終の年こそは、我が鹿友会創立二十五週年といふ記念すべき年であった。 是より先、明治三十年一月第十総会を、神田開花桜に開いた。この時が創立十周年に当ったのであるが、 この際は「特に創立主意書を朗読し、永く本会の主旨を守り、各員責を負て之を貫徹せんことを誓ふ」 に止め、別段記念の催しを行はなかった。 又明治三十四年四月の例会は、第百例会に当った。この際も「我会は、鹿角のあらん限り、東京の存する 限りは継続すべきものなれば、漸やく百回を重ねたりとて、左ほど狂喜すべき事もあるまじ」とて、 上野公園で桜花の下に運動会を催したのであった。 併し、”創立二十五周年は盛大に記念すべし”といふに、衆議一決し、第百八十四例会、兼第二十六総会、 兼創立二十五周年記念祝賀会は、明治四十五年六月九日、本会に縁故深き上野公園見晴亭に於て開催された。 出席者は五十六人。 (出席者職業別) 学生(十七人) 会社員(八人) 軍人(四人) 官吏(三人) 教師(六人、婦人を含む) 医師(三人) 新聞記者(二人) 其他 といふ記録的多数で、来賓として旧藩主代理松橋宗之氏、秋田の中村千代松両氏が出席し、幹事湯瀬禮太郎氏の 挨拶、青山芳得氏の演説、来賓の祝辞等があり、記念品を頒ち、酒宴を開き、手品、茶番等の余興に興じて、 談笑和楽のうちに散会した。 この記念会で思ひ出さるゝのは、創立功労者たる大里文五郎氏の前年の暮に逝去した事、初期以来の 会員石川壽次郎氏、川口恒蔵氏、山本祐七氏等の物故せる事であった。 又石田八彌、内藤虎次郎、川村竹治、内田清太郎、大里武八郎の諸先輩は、職務のため地方に在住し、 又は郷里にあって、この記念会に列席せず、鹿友会の活ける歴史に接する事が出来なかった事は、 遺憾であった。 尚廿五周年当時の会員数は、 維持員 三十人 正会員 在郷七十五人 〃 地方六十人 〃 在京五十人 計 百八十五人 |