鹿友会誌を紐とく
第拾冊(明治41.8)
 
△例会・総会
 例会の中でこれまでもあるが、遠足等になると、極端に参会が少なくなる。普段十数 名のところ、四、五名、例えば明治四十一年三月の百六十二例会は青梅の梅見を企画し た。前夜風雨激しく、当日の参加者は一人のみ……等々。
 
 百六十例会・第二十一総会は、本郷の大里武八郎氏宅で出席者は四十一名、総会終了 後、大里氏結婚披露宴とする。物真似、合唱、獅子舞等の各自余興を出し、多いに賑わ う。当日の費用は一切大里氏の寄付による。
 
 百六十三例会は川村竹治氏栄転祝賀会を兼ねる。出席者二十六名、於目黒エビスビー ル庭園。
 
 臨時茶話会は石田八彌氏が大阪から上京との事で、上野見晴亭にて開く。十六名が参 加、石田氏からお話を聞く。即ち……
 明治十五年頃、三、四人が集まって話したり遊んだりした。その後名前を付けようと して、この鹿友会というものにした。今は四十名もの上京学生がいるというので、誠に 目出度い。
 当時花輪から秋田、盛岡には馬て行ったものだ。秋田へは三十六里の道を行った。
……
 元来我が鹿角の人は、一般に裕福であり、どこの家でも相当の財産があり、食うには 困らないというところから、青年諸君も依頼心が多くありはしないか。
 人間は、この世に生まれてきて、只食って飲んで寝転がって死んでしまっては、甚だ つまらない。自治独立、独立独歩の道をさぐれ。
 参考に、自分達も読んだ、スマイルスの「自助論」を紹介したい。是非読んで欲しい。
 
△「月次会廃止論 中島織之助」
 (要旨)時勢の進歩、事情の変遷などにより、世事全般、改良変化を求めるのは自明である。
 理由
(イ)会員の状況変化
 本会の会員は十年前は主として中学生であった。今日、地方中学の設立により、上京 会員の大半は高等以上の生徒・学生になった。前は世事に慣れない年頃であるが、最近の 学生は世事学事が多くなっている。
(ロ)毎月の面会不必要
 同郷出身者は、少なくとも月一回位の面談をした方がいいといえども、現在、多数が 高等以上の学生か、職業ある会員である。中には毎週面談を必要としている者もあるだ ろうが、それは私人間の事として、月例にかかわらず逢えばいい。
 
 更に月例会の有害による事の理由として、三つ、
(イ)会員多忙よりくる理由
(ロ)例会を、いわゆる面会日と想わしむるよりくる理由
(ハ)心理的に見たる理由
を挙げ、それぞれの主張するところを述べ、若し私の主張するところの論旨に、誤りが あったら指摘してくれ、決して会の本旨を変えようとしているのではない。旧習に束縛 されることなく、形式のみにこだわらず、その真実に近かしめよ。
 
 開会期日も広く年何回以上と改めてはどうか。もし、生徒学生を本意として定めるな ら、一学期一回とし、他に新年会、夏期大会等の方が適切であろう。
 願はくは本論を年少気鋭の空理空論となさず、子供心なるも赤誠をもって記述したる を想い、曲なるは指導し、正なるは賛助し、愚意の存するところ認識願わん。
 
△明治四十一年賛成員二十二名、
 地方会員八十四名(在郷五十七名・軍人二名・渡米二名)、在京会員五十七名(学生三十 名)

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]