鹿友会誌を紐とく
第九冊(明治39.8)
 
△「希望五則 狭花散史」
 先輩諸兄の創ったこの鹿友会がその高邁な主旨にも関わらず、時を経てだんだん薄れ ていっているのは、大変遺憾に感ずる。確かに、かつては遊学というと、東京がその大 なるものであったが、時勢の進歩により、中学が各地に設置された。故に郷里後進の遊 学する者は散在してきた。
 
 ここ五つの希望を挙げて、鹿友会の益々の隆盛を計ることを提言する。
一、資金の募集
 郷里父兄又は賛成員、郷里鹿友会員は、後進子弟の為には育英の資を投ずるに、大い に賛成の意を示している。
二、宿舎の設置
 かつても先輩がその必要性を説いたが、いまだ成らず、敢えて数千金を投じ、居館を 設くべしと言うのではない。現在大里武八郎氏のお宅を借り、また豊口氏のお宅を借りて集 まっているが、父兄と鹿友会は相談して、この方々の所に補助をして、その実績を積み 重ねていけば出来るものと思う。
三、鹿友会の拡張
 鹿友会は、東京の会のみとせず、近年の趨勢を考え、大館・盛岡・秋田等、また郷里鹿 角の青年諸氏をこれに交えむ。それぞれ支部とするもよし、従来のその団体名を使うもよし、 連絡を密に目的を一にし、前進するべし。 四、会誌の拡張
 今まで会員・父兄その他の為の会誌数であるが、これからは言論の機関とし、何人を もっても、望む者には実費負担をしてもらい、送ることを提案する。発行度数もなるべ く多くすることを望む。
五、講習会・演説会を開く事
 本会夏期の事業として、休暇を利用し帰郷する諸氏の専門とするところを、郷里にて 講習又は演説会を開くべし。父兄の実話を聞くも可なり。
 
 この様に鹿友会のなすべきことは多いけれど、一事を計りて一束を成す。少しずつ手 をかけて行けば成就するものである。また、この五項目が総ていいと言っているわけで はない。皆で考え、更なる前進をして行こうではないか。
 
△「余が鹿友会の歌に就きて蛇足を加ふ 諏訪冨多」
 諏訪氏はこの頃金沢第四高等学校にあり、この年に東京帝国大学哲学科に入学した。
 
 (要旨)先輩諸兄のすごさ、素晴らしさに比べ、今の会はあまり賑わないと感ずる。 一般会員の奮起を促す。
 この会を身体の一部、脳として考えてみれば、我ら会員は一つの細胞として例えられ る。細胞が盛んに活動して、脳がその働きをする如く、鹿友会を大ならしめる為には、 まず会員は自己の要求に従って、誠実に活動することである。謙譲というものは悪くは ないが、現在の鹿友会員は余りに謙譲過ぎる。余りの謙遜はここしばらくしまう方がい い。かつて寄宿舎や文庫、運動場等の設置の案も出たが、今のとこる望むべきもない、 未来の事業として楽しみ、ここに簡単ではあるが有効と信じる三項を挙げて、励行して いただきたい。
一、時間の規定と守るべきこと
 第一日曜午後一時〜三時座談、三時〜五時(又は六時半)演説講話、これより余興 〜九時頃
二、会則を朗読する事
 この頃は入会時に会則を知らないで入る者が多い。
三、各会員の特色を発揮すべきこと
 どしどし講話をして欲しい。更に六時半頃より余興を出す、詩吟・琵琶・手踊りなど親 睦の手段あるべし。
 
△明治三十九年賛成員二十名、  正員:地方会員八十四名(在郷四十九名・海外二名・軍人四名・学生五名)、在京会員 四十一名(学生十九名)

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