鹿友会誌(抄)
「第四冊」
 
△叔父近内一人並に熊谷直興が事   正員 内藤虎次郎録
 王民叔の没せられし時、其の俳諧の師、於曾此一より贈られし吊文二篇、此頃筐底よ り出しとて、家厳より贈らる
 
 去年の六月は、耕々と季楽に別れ、ことし水無月、又王民に別る、天いかなれはかく としとしに、我鬚髪をして白からしむるぞ、近内王民や、其性剛直、君に奉仕して忠父 母につかへて、孝よく家事をおさめて妻子を養ふ、生平武に厚く、剣法をよくし、且銃 術に精しくして、武夫一個の事既に足れり、
 
 凡武に泥む者は文に竦く、文にふける者の武にわたらさるは、なへて世の中の情態に しあれど、王民や、其性の剛毅にも似す、いつの頃よりか、風流に遊んて、芭蕉の下流 を汲むことの久しかりしも、たしかにたよるへきかたもなく、彼、いはゆる水に画き、 氷に鏤めて、いたつらにとし月を過せしうち、ふと予か草扉をたゝいてより、師弟の縁 さたまりしにや、初見より互に心おくことなく、叱りもし誉もして推敲すること、こゝ に五とせ、其術の達する今にして、予か門に指をふせ、四五指のうちをはでへからす、 あはれ一方の門子を得つるかなと、寐覚寐覚を楽しむや深かりし、いぬる文月の半、大 湯へ□(つえ)を引し折は、にしき塚に馬を迎へて、臨耕亭に草鞋をとくより、朝暮盃 をすゝめて、笑談に世事を忘れさせ、又浴中にしては、薪水の労謝するに余りあり、杖を 返して花輪にとゝまる時も、寝食を共にすること数日にして、大日堂に離盃をうけ、送 りの人々に別るゝを、今しはしとて送り来り、天狗橋にて袖をわかつに、猶名残をしと や、予が坂を登りきる迄、橋のほとりに立やすらひぬ
 
 彳むを見かへる笠に秋の風
 
と申捨しは、此時の野吟なりけらし、こゝに五月の末、主家の命により、府に出しとて 、訪ひつるは、廿六日の巳の刻過る頃なりし、はからさるおもて合せに心は嬉しく、と みに盃を出し、四方山とかたりつゝけて、未の下りに盃を納めて、又の日を約しつゝ別 れにき、かくて此四日といふ日の朝またき、泉澤某より一封の書あり、開き見るに、遠 行のこと、俄にして、きのふなむ、家へ送りつると読み下すより、胸潰れて更に夢うつ ゝをわかつことなし、実に人命無常とはいひなから、鬼神をも恐れましき、ますら男の 一朝の露ときえはてゝ、冥客の員に入りにしことは、世にもまことしからす思はれて、 訃音の文を再ひ見るに悲ひ哉、はたして物故にたかひなかりき、嗚呼此人や、其性剛直 、君につかへて忠、親に仕へて孝、天いかなれは此命を奪ひしぞ、天いかなれは此命を は奪ひしそ
 
 眼にふるゝ袖ぬれ草や朝な朝な   此一
 
 此篇は、王民叔の終焉、よのつねの病没などゝ思ひて草したりしを、そのゝち割腹と 知りて、更に左の文を贈られしと見ゆ
 
 水無月朔日に王民遠行す、尋常の終焉ときゝて、先にいたみの野章あり、今遺書を手 にとり見て、士道の常とある其心中の潔きに、感涙をふり払ひて
 
 夏氷見る間や水に立もとり
 
 又郷の俳人鎌田蕗谷氏かものしたる熊谷直興並に王民叔が略伝をも得たれば、左に録 す
 
 年波のよるにつけ、亡き人の昔したはしく、我狭布の里に熊谷氏月郷とて逸士あり、 文武の道は、泉澤修齋先生に学ひ、俳諧は涛齋麟趾を師として後、貫洞卓堂によれり、 生来画を好み、川口月嶺に習ひ、丸山四條に妙を得たり、名刹の徒にあらざれは、其場 の言捨のみ興しけるを、心に留め置、書付る者は同し農夫蕗谷
 
 神の森隣に持て初からす   月郷
 
 熊谷助右衛門月郷子の家は、慶長年間、南部旧藩にて設る柏崎館二の曲輪内にて、鎮 守稲荷の祠に隣るにより、この吟あり、戊辰の秋、板澤の役に戦死せるも、勤王にして 美名朽す
 
 蓋あはぬ重物の来る雛かな   月郷
 鵜の篝今宵も同し処かな   仝
 新酒かとなめて置けり膳の隅   仝
 月にさわる外は幾つそ飛千鳥   仝
 
 我里なる近内氏王民子清素庵といふ、通称一人、名は申徳、武の道にたけたり、かた はら俳諧を好み、はしめ涛齋麟趾(当郷の人瀧后安)を師として後、一徳安此一叟に よる、余とは若きよりしたしき道の友にて、互に未熟をうちうたるゝを楽しみとしたり 、常に頼嚢翁をしたひ、外史に眼を晒し、俳諧終て、南朝の昔を問へば、答へすて涕う かみぬ、平素みしかき衣装に、三尺の刀を帯び、生来酒を好み、ある時、草庵を訪ふて 、「酒になる桶の匂ひや鳥さかる」と興し、則句の価とて封を口切らせ、舌鼓を鳴らし 、句を吟しつゝ、数杯をかたむけぬ、風流ならずや、されば世の中何となうさはかしく 、終、戊辰の夏、藩士出兵に際し、主公素志を容さるより、岩手に於て割腹、嗚呼勤王 の士、惜いかな、没年三十四、仁叟寺に葬る、余は又無能にして生延たるまゝ、其人の 句を記して、其魂を慰む
 
 薮入の聞済しけり鐘の声   王民
 霞よりうへのなかめや岩手山   仝
 春雨のしめり持けり柄袋   仝
 白雲の花にさたまる夜明哉   仝
 身のひまをうかんた姿の蛙かな   仝
 
 こは、今より四十年あと、民子の吟なり
 
 虎云く、王民叔、戊辰の歳六月を以て没す、辞世に
 
 心地よやすゞ風かよふはとのわた 三十四年得死時
 
とあり、月郷氏は仝年九月、板澤に戦死す

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