鹿友会誌(抄)
「第三冊」
 
△先輩紀伝
○勝又定八氏
 氏、諱は清助、廣運堂と号し、幼より壮に至るまで泉澤織太に従学す、祖父六郎治、 勝又善兵衛の三男を以て、別に家を起し、麹を製し濁酒を醸造するを以て営業とす、父 民右衛門、財利に敏し、益其業を拡張し、産頗る殖し、氏の壮時に及て、富巨万と称 し、氏、其繁劇の間に生長し、俗務を喜ます、唯読書是耽り、又算数に長す、民右衛門 、卜筮を喜む、氏、亦之に傚ふ、時に先考天爵周易に通すと称す、即ち就て学ひ、其蘊 奥を究め、又自ら研磨する事数年、学益進み、遂に其理に精通し、百筮一を謬らす、易 理の一道に至ては、奥羽其比を見すと評せられたり
 
 氏、性無慾、肯て理財に屑々たらす、家事を弟周治に一任して、自ら一室に屏居、塵 囂(じんごう)を避く
 氏、曾て戯曲を喜む、倦む所あれは手三弦琴を弾して之を演し、其声朗々、外に徹す 、
 中年に至り男子なし、一女あるのみ、之を他に嫁し、周治を以て嗣となし、而して一 小矮室を屋後に築き、茲に隠逃す
 
 当時の読書家、各々主とする所あり、古注を奉するもの、新注を取るもの、或は仁齋 学あり、徂徠派あり、各門派を別つの風なりしに、氏、是に異なり、故に独り儒書のみ ならす、神道書仏書医諸方技の書に至るまて尽く窺はさるなし、其意集めて大成するに あり、其書を講するや、諄々談話の如し、又易道の書冊に至ては、悉く購ふて蔵めさる なし
 
 氏、富家に主たりと雖も、奢侈を喜はす、自ら奉する極めて朴素平生、濶袖の錦衣を 着、絮帽を頂き胡坐す、其風貌大黒天の如く、又古隠仙に似たり、訪ふ者あるも、肯て 帽を脱せす、而して老松となく男女となく皆之を歓待し、説話淡々諧謔を交ゆ、人、聴 て倦むを知らす、而して退て之を顧みれは、皆規誡身に切なるもの也
 
 氏、人と為り、外淡泊瀟洒細故に屑々たらす、而して天資聡明胸度朗闊喜怒、色に顕 はさす、真に大事に堪る者、惜らくは其才を試むるの時に遇はさるを
 初め其田禄、甚た多からす、氏の世に及ひ、田を墾する事数十頃、遂に二百石に至り 、闔郷の最たり、世人、是を周治の力に帰するものありと雖も、其実、皆、氏の区画措置す る所なりと云
 氏、一室に屏居するの衛生に害あるを知り、毎晨人家未だ起ざるに先たち、早起し、 市街を散歩し、後、初めて盥嗽に就く、寒暑となく一なり、故に老に至るまて衰態を見 す
 明治六年六月老死す、年七十七、法謚を大道仙瑞居士と云
 
 野史氏曰く、天下高島呑象氏の易理に精通するを盛唱するや久し、数年前、予其著し 所の易占なるものを一読し、其断案を諦視し、以為らく我定八氏に及はさる遠しと、然 して今日の進修、必す嚮日の比にあらざらん、他日門牆に候し、其奥蘊を叩かんと欲す

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