鹿友会誌(抄)
「第四十五冊」
 
△角田英君経歴
 君、多くは地方に在勤せし人、且つ多病の為め会に接近する事少なき人なりき、其の 逝去せられたも、元来は青森の出身なるを以て、写真、経歴、行年、法名等の資料入手 の手掛りなきを以て、単に編輯子の記憶のみを以て、僅かに追悼号を塞ぐことにせるもの なり。
 
 君は青森県弘前の産、小学校を卒へて当時尾去澤鉱山員たる叔父佐藤貞雄氏に寄食しつつ、 尾去澤鉱山に就職したり、後、鉱山の銓衡を以て、工手学校採冶科に入学す、卒業して尾去澤 鉱山分析課に勤務す、然るに君は不幸、結核病の所有者として、勤続不可能となり退職す、
 弘前に帰り、生活を戦へつつありしが、後、東京に来たり、淺野君の分析所の主任となりしが、 又病の為めに精勤を許さず、遂に六十有余年、無妻無子、孤独を以て、寂しく病院に逝く、 次弟の警官ありし筈なるも、居所不明なり、是れたけを記して追悼号の一頁を塞ぎ、他日資料の 集るものあらば、次号を以て補ふべし。

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