鹿友会誌(抄)
「第四十五冊」
 
△高杉八彌君を憶ふ(抜粋)
     小樽高等商業学校長 苫米地英俊氏
(前略)
 忘れめや昭和十七年五月八日、恨も深き東支那海、夕陽西に没し、薄暮漸く四周に迫り、 狂瀾の尖頭に乱舞する白浪激しき頃、平和の使徒を満載した我輸送船が南を指して波を 蹶てゐた、雄渾なる策戦の跡、累々たる廃墟に建設をめざす産業戦士の胸には、崇高なる 理想の輝に充てゐたことであろう。
 
 突如居船を揺がす大爆音、水柱砕け落る爆壷、予ねて覚悟は定めてゐたものの、一瞬の喫驚 は免れなかったことであらう。高杉君、破れたる甲板に立ち、暗黒の狂瀾を眺めたとき、 君は果してそこを、君が霊魂永久の住み家と思ひ定めたか、ともあれ異なる星の下に、 期せずして生れたる生霊は、同じ星の下に、欲せずして怒涛に飲まれたのである。
 嗚呼、逝く者に恨はあり、残る者の涙はある。高杉君、想へば洵に短い一生であった、 君の死を惜しみ、君の為めに啼泣する者、豈君が恩愛の契浅からぬ者に限らうや、君が母校、 緑鮮かに花紅なるとき、一千の学徒は万斛の涙を灑ぎ、君が冥福を祈ってゐる。(中略)
 
 高杉君は、物優しい品のある青年であった。而かも温厚篤実の裡に確固たる精神を持ち、 男らしき、正しさに於ては誠に珍しき人物で、親切心に富み、犠牲の精神に強く、責任感の 旺な人であった。学問に対しては精神恪勤、自学自習、知を蔵して学を衒はず、朱に交て 赤化せず、其抱擁力の偉大にして、和して泥まざる態度には、畏敬すべきものはあった。
 
 高杉君は、君の短い生涯は必ずしも平坦の一路ではなかった、君は幼時より苦戦奮闘、 自主自立、所謂苦学の道を辿た人であった、しかし君の身辺風貌に其片鱗も窺はれず、品位と 明朗さがあった。
 
 高杉君、君が入学の際、紹介状を持って訪ねて来た、其時君が歩いて来た荊の路を、詳細に 知ったのであった。そして其の時受けた粋真高雅の印象は、学窓三ケ年を通して誤ちなきを知り、 君の尊き人格を今も畏敬して居る。君の境遇を経た人は、兎角暗い陰を宿し、卑屈に流れ勝である。 然らざれば、他を利用することに巧になり、恩義知らざるが如き者は多い。又中には世を拗ね、 他に冷たく、心に胼胝の入った様な者も可なりある。然るに君は実に立派であった、そして学友 の中にも、君が越えて来た山坂を全然気付かなかった人は大多数であったことであらう。(以下略)
(本文は、小樽高商出版の新聞「緑丘」より抜粋せるものなり)

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