△淺利佐助氏
第四、翁は神仏を信すること篤い信念の人であった。若かりし頃の翁は酒を嗜んであ
ったが、好きな割に酒には強くなく二日三日床に休む日があった。業務発展の途上、南
船北馬、席あたゝまるのいとまなく、一ケ年の半ばを旅に過すやうな繁忙重要な身をも
って、酒故に事業に支障を及ぼすが如きことあってはならないと、堅い決意を決めた、
翁は断酒の誓願を成田山にかけ、併せて醤油醸造事業の大成を祈り、毎年そして機会あ
る毎に成田山への参詣を怠らざるのみならず、日夕神仏への礼拝を欠くことがなかった。
曾つての年成田山参詣の途中汽車に同乗した。山形県西田川郡西郷村の豪家阿部太郎左
衛門翁といろいろ語り談たまたま醤油醸造を担当する養子を迎へたいとの述懐から当時
阿部翁の四男目下滝野川大蔵省醸造試験場に醤油の技術研究中にあり、御望みとあらば
差上ぐるべしとて車中に縁談成立して迎へたのが今の花輪町長たる佐助氏であって、こ
れも亦成田山信仰の御りやくであると翁がよく語ってゐた。久吾氏淺利家の人となった
のは大正五年醸造設備に対しての鋭意改善と技術の研究に腐心し、醸造石数の倍加は勿
論全国の品評等に於て優等賞等の受賞を受け、氏亡きあとに於て、入大淺利醤油の事業
完成を見るに至った、地下の氏以て冥すべきである。(川村薫記)(六月二十五日)
岳祖父の偉業を益々発展せしめた人
三代目 淺利佐助氏(現花輪町長)
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