鹿友会誌(抄)
「第四十四冊」
 
△言上一括「鹿友会の意義」(続き)
 全国の郷土雑誌の内容を検討するに、経営者の生活職業として、営利の為めに経営し て居る者は比々皆然りである。彼等は営業本位より出つる能はさる存在である。然るに 我が鹿友会は、遠き六十年の昔より、純真なる郷土愛の結晶として、先輩の創始して今 日に伝へられたる、貴重の遺産で何人の私営でもない故に其の会誌は非売品であり、会 其のものは純なる同郷人たる真情の渾融する一時の天国の現はれであって、自分の名声 を売るとか、自分の商売に利用するとか、苟も功利の不純な他の会合の如きものでない のであります。郷土の会は其れは真の理想であって、無類の醍醐味のある所以でありま す。
 
 会員の内には、他の会には能く出席し居るを見受けるが、鹿友会には多年例総会に一 度も出席せぬ方々もある様だが、其の原因は那辺にあるやまた明かならす。併し大抵は 忖度し難きにあらず、吾人会の当番として、会の運営に任する者、常に此の事実を遺憾 とするものなり、冀くは虚心坦懐来たりて、吾人をして手を握らしめよ、吾人の手に温 か味あるべきを知らるべければなり。
 
 既に述ぶるが如く、鹿友会は勿論功利的の会ではないから、自己の商売とか栄達に利 用せんしする気持とは相容れさるものである。一種の同族会たる鹿友会は唯だ懐しさ、 睦しさ和かさ、 − あるのみで十分でありませう。
 抑も人間の生活は複雑であります。情の生活、功利の生活、信仰の生活 − 等あり得 る筈だが、鹿友会を以て情の生活を満足せしむる所と考ふる時に、好箇の存在であり一 億一心の涵養の温床でもあらしめることは出来ると考ひるものであります。
 支那事変も、始めは不拡大を欲して極力努めたが、遂に時の勢は大東亜戦と発展し、 国家の興亡を賭して戦はねばならなくなった、既に国家の意気斯くの如し、国民も其の 意気之れに副ふべく、先づ脚下一歩の郷土より、共栄のスタートを切りませう。

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