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鹿友会誌を紐とく 第四十三冊(昭和16.7) |
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△「巻頭の辞 月居忠悌」 昭和十五年は皇紀二千六百年、川村顧問の古稀祝典、青山・湯瀬両顧問の古稀追祝、 学生部の創設、英霊遺児歓迎、養気暦(石川伍一追善忌九月二十日)、花輪に於ける学 生部夏期大会、大里顧問の歓迎兼総会 △小坂・尾去沢両鉱山寄付御礼 小坂鉱山 一、一ケ年三百円、十ケ年三千円 尾去沢鉱山 一、弐百円 △石川達三氏に依頼して、叔父伍一氏の殉国の光景を語る会(当分延期) △川村顧問古稀祝賀会、青山・湯瀬両顧問の古稀追祝賀会、川村秀文氏勅任昇進併祝会 四月二十八日、川村女学院にて花輪会と合同、五十余名 川村顧問のお話 「唯今はお祝を頂き有難く感謝を申上げます。私は十八の時に上京しましたが、生来 身体は甚だ弱く、今日からして古希の齢を迎えるとは、自分でも信ぜられなかったので あります。 本日、私の最も信頼し、最も愛する鹿友会、並びに花輪会の諸君よりお祝を受けまし て、感謝の至りに堪えません。 元来鹿角郡よりは、大里文五郎、石田八彌、内藤湖南の三氏を出したるが、三氏何れ も此の会に多大の寄与をしてきたのでありますが、今すでに亡く、感慨真に無量なるも のがあります」 ※今回川村学院では中等部を新設。 余興では、芸達者の多い同会の事とて、会員有志が太鼓・笛を取り出し、郷土芸能・舞 踊・盆踊り等に興じた。 △川村顧問古稀祝賀会、青山・湯瀬両顧問の古稀追祝賀会「祈願文(鹿友会々員代表 齋藤國太郎)」(別掲) ※この中で「鹿角魂」のことが謳われている。 すなわち「五十周年祝賀の際、南部同郷会は鹿友会を以て実に驚異に値ひすと祝し、 秋田社は他に県人会、郡人会、同郷会等あるも五十年の継続し居るは、鹿友会のみなるべし、 而かも其の基礎鞏固、奨学資金の設あり、各方面に人傑を出し活躍するものあり、 此の鞏固の会を創設せるは鹿角魂の為めなるべし云々」と。 △川村顧問古稀祝賀会「感謝文(鹿友会幹事長 月居忠悌)」(別掲) ※後世に微風を遺すもの、後世に教ゆる所ある人の道なり。 △川村秀文氏勅任昇進併祝会「祝辞(鹿友会幹事長 月居忠悌)」(別掲) ※鹿角の地は、他と比して決して良風美俗の薄き土地にあらず。 △「鹿友会学生部の誕生に就て 会のことも少しばかり 幹事 松谷新一」 我々は見知らぬ土地に居住すると、種々の困難や障害を感ずると同時に、故郷の楽し かった事を想い浮かべて、この異郷は実に冷たい、何等の人情とか同情の介在せぬ世界 であると、真に感ずるに違いない。 ここで吾々が同郷の人と会った場合には、常に何とも言はれぬなつかしき温かさを感 ずると同時に、何かしら大きな力、偉大なる味方を得た様な気持ちをいだくのは、吾々 の経験する処である。実際吾々が上京する場合にも、東京には鹿角出身者の会があると 聞いただけでも気持ちが楽になるのが、人情の常である。勿論吾々には、依存性を云々 するものでもないが……。 △「言上一括」 寔に恐縮ながら御願ひ申上候 奨学資金の滞納・延滞について一言 我々も貸す時恵比須顔、取る時えんま顔は大変です。 各位自発的に御送金下さればありがたい。今年は強力な延滞整理あたりたい。 ※第四十二号(冊)以降、多分時局の為と思われるが、文章が固くなる傾向にあり、 また月居氏特有の漢語的言い回しも、氏の文章には多く出てくる。 △「言上一括」 副業部に就き謹言 鹿友会副業部 = 将来の鹿友を貧困より救ふ 各位の保険加入は、各位の安全を確保する外に、御自身のポケットを痛めずして、鹿 友会を育み培へ下さる一石二鳥の公益をすることにもなり。 ※最も信頼し得べき一流の保険会社と特約を締結し、会員が挙げて多くの被保険者を 御周旋下されば、其契約に付、保険会社より受ける報酬金を以って、会の経常基金と出 来る。 △会員名簿(昭和十六年二月)賛助員十八名、 正員、東京附近百七十七名・地方百六十五名・郷里百十二名 |