鹿友会誌を紐とく
第三十五冊(昭和8.1)
 
△「動静 澤出老骨(澤出茂雄)」
 本会入会以来十余年になるが、一回も出席した事がなかった。老人の出る幕ではない と思っていた。しからば入会して必要がないと思われるだろうが、異郷にある者にとって 郷里の状況や友人の消息を知り得るのは本誌であり、年一回の発行を唯一の楽しみとし ているものである。
 此度川村司法大臣祝賀を兼ねての例会に出た。大変な感銘を受け、楽しかった。しか し、出席者は若い方や学生は少なく残念に思う。元来田舎の成年は弁論がうまくない様であ るので、この様な機会をとらえ、自己宣伝の練習をした方がいいし、会は有益のものに なるだろう。本会に弁論部を設けるのも一方法かしらむ。
 
△「自作農会報 奈良野人朗」(別掲)
 徳富蘆花の農事文中の一節に、「あらゆる生活の方法の中、最もよきものを択み得た 者は農である。農は神の直参である。自然懐に自然に支配する自然を賛けて働く農民は、 人間化した自然である。神を地主とすれば、彼等は神の小作人である。主宰を神とす れば、彼等は神の直轄の下に住む天領の民である。神と共に働き、神と共に楽しむこと を文義通り実行する職業があるならば、それは農であらねばならぬ」
 
△「奉天より 阿部勝雄」
 (満州現情、匪賊や住民の事など、そして大変な情況だと述べている)
 
△郷土の動き
 秋田青森を繋ぐ新産業の道路完成、大湯 − 八戸
 私鉄(秋田鉄道)買収促進運動に上京
 花輪町の一偉観、花輪病院竣成
 花輪町グランド(小坂)開き盛大に
 奥羽アルプス八幡平、雲上の神秘境
 花輪町史の編纂に着手する
 南部同郷会便り
 
△第十回オリンピックを見て 横田正行(台北中学教師)
 種々オリンピックの様子を記し、第二世の少年少女の人生観に強烈なる活力源 を与え、又は、参加国人間に、日本及日本人を知らしめたと同程度に、あるいはより以上に このオリンピックは効果的であったと云ひたい、と述べている。
 
△例会
 四十六会総会、川村司法大臣祝賀、昭和七年五月十四日四十一名
 
 川村司法大臣のお話
 「人の栄誉という事は、一朝一夕に到来するものではない。殊に私の今日あるは、 実に大なる苦心艱難の結果であって、決して華々しいとは考えておらぬ。人は苦労を経 験しなければ、真人間にはなれぬ。苦労の中にあって、徒らに人に訴えず、勇気を鼓舞し て克服しなければならぬ。殊に今日の不況時に際して、一層その感を深からしむる次第 である」
 
△会員名簿(昭和七年十二月現在)賛助会員二十三名、
 正員、東京附近百十二名・地方百二十五名・郷里百八名・不明十名・逝去十一名

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