鹿友会誌(抄)
「第二十四冊」
 
△大日堂並に奥の院五の宮大権現略縁起
 往昔、鹿角郡小豆澤村 今は陸中国 の民家に、或夜中夢に人あり、告て曰く、
 我は大日霊の神なり。天に有りて普く国民を恵み五穀を生じ人民を養ふ。大己貴は農業耕作 を教へ大山祗は山野を司どり国の産宝を生ず。是我が力を助くる神なり。汝川上へ行き て住むならば耕作の大祖となり田畠を墾開し国民の宝と成り、終には有徳の人となるべし 。我れは此の処に留り人民の守護するなり
と。夫婦諸共に夢中の告あり。
 
 彼の夫婦、男は鹿角郡長牛村、女は比内郡獨鈷村より来ると云。時に土壇を築き竹木 を立、種々の物を供へ、大日霊の神此の処に鎮座し玉へと天を拝して祭る。其れより夫 婦、川上を尋ね、田山村の奥平間田へ行き住居し、葛蕨の根を掘り食物とし畠を開き専ら 農業に心を尽す。
 
 一日畠を開き余りに、草臥木蔭に昼休して男少し眠りたる時、向の岩間より蜻蛉来り鼻 穴に再三尾を入る。婦側にありて不思議に思ふ処、夫忽ち目を覚して、我今名酒を呑み たる夢見たりと語りければ、婦又蜻蛉の鼻に尾を入れたるを語る。夫婦奇異の思をなし 、共に蜻蛉の来る処に行きて見れば、岩間より霊泉湧出でける。
 是れを呑むに、夢に呑みたる名酒に替る事なし。其味甘露の如し。病む物に之れを与 ふれば速に癒ゆ。月を重ね汲むも尽る事なし。則其処に又屋形を造り住居しけるに、其 徳を仰ぎ数千の眷属、招かざるに来り、七珍万宝、求めずして充てり。
 其身長寿となり、眷属数千の飯米、前の小川にて精ければ、川下遥の下もまでに白水 と成りて流る。故に其流れを米白川と唱ふ。 今秋田県能代港へ落る米代川是れなり

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