鹿友会誌(抄)
「第二十三冊」
 
△亡友追悼録
○豐口庄作君
 明治二十五年七月、毛馬内に生まれ、将来、実業家たらんとして、十四歳の時、北海 道旭川なる奈良濱五郎氏方に商業見習として、数年間奉公せられ、其の後東京方面へ方 向を替へ、活動せんとして見学中、病気に襲はれ、志を得ずして中途帰郷、静養の傍ら 家業に手伝、百方医薬の効もなく、前途の光明も見ずして、大正十年十一月二十五日永 眠せらる。享年三十歳。

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