鹿友会誌を紐とく
第二十二冊(大正10.7)
 
△「社会事業と鹿友会 幹事長 青山芳得」
一、社会事業
 その根本策は国民教育にあり、次に就業の選択である。職業紹介制度の完備が、この 理想を具体化する最良の方策である。そして次に家庭生活の大なる部分、すなわち家屋 を低廉に心地良く供給してゆく事である。国家が率先して実行してゆくべきであるが、 現実的にまだ出来ないし、すれば個人の社会奉仕に待たなければならない。またその道 程として、郷里郷党より国家に及ぶのが順序かもしれない。
 
 鹿友会をみるに、第一の事業、教育はやゝ実現しつゝある。第二の職業紹介は、会則 にはないが、自然的に付帯している国民生活の改善とかは、一小団体の力では無理、学 生生活の安定としての寄宿舎設立の計画も資金の関係上、実現出来ないでいる。
 こうしてみると、鹿友会の事業も小さいながら社会事業である。
 
二、奨学事業の起源
 実にや、事の成るは、その成るの日に成るにあらずして、必ず由て来る所あり。
三、事業の復活
四、事業の拡張
五、事業の成績
 
△論説
@「鹿友会婦人部に就て 川村五峰」
 鹿友会に婦人部をとの声はかなり久しいが、実現をみるに至らなかった。
A「婦人入会に就て 小田島與三」
等々種々の意見はあったが、結論に至らず留保となる。
 
△活動状況
 前年、奨学金拡張宣伝の為、青山幹事長郷里に帰省し、大いに活動に努める。
 ※尚、大正九年九月の評議員会にて、会務繁忙の為、有給事務員を置く件を検討
 
△例会総会
 大正年代に入り、例会・総会の出席人数が大変多くなってきた。総会員数が増えた為 もあるが、役員構成によるところが大である様に思われる、例 評議員制とか。
 大正十年の総会は第三十五会、例会にして二百十七会を数える。
 奨学資金の醵金申込は二十八名、一五、二二五円に達す。内払込金は四、八五一円
 
△会員名簿(大正十年)賛成員三十二名、
 正員、東京百七名・郷里七十六名・地方八十九名

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