鹿友会誌(抄)
「第二十二冊」
 
△亡友追悼録
○追悼辞
 生けとし生けるもの、誰か黒き魔の手を免れ得るものぞ、吾等がまづしきともどちの 上にも、 − よし功成り名遂げたる者とても、果た亦青春而立せざる者とても − 避け 得ざるははかなき此の運命ぞかし。惟へば昨大正九年七月二十九日、一郷の先輩として 、吾等が敬慕措く能はざりし、小田島由義翁の簀を易へられたるに遇ひ、涙未だ乾かざ るに、越えて八月若松惠介君の、三十有三の若き身空を以て逝かるゝあり。九月に入り 川村俊治翁の令息竹治君の栄達を見て安らかに永眠せらるゝあり。また出でては、朔風 荒ぶ南満の地に医学を学び業成り、将に仁慈の道を行はんとして、中道夭折したる村山 福太郎君の如き。悲しからずや。 月移りて、吾等が世界の汚なき白雪に蔽はるゝの時、又しても黒きし るしの二つ、三つ。昨は慈父の喪に会ひて、勇猛精進の燈に跪きは内田四郎君の、今は我 身聖き法火に抱擁せらるゝとて、誰か測り得るものぞ。青山守太君、阿部守巳君、櫻田潔 君、戸川鑛郎君、等のともどちの「死」も亦、吾等が心戦かしむるものあり、憎しから ずや。指おれば吾等がはかなき努力の伴侶の、茲に欠くるもの九人。吾等今此の文編む に当りて、哀惜の情、禁ずる能はざるものあり。思ひ出を録し、謹んで追悼の微哀を表 す。

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