鹿友会誌(抄) 「第二十一冊」 |
△亡友追悼録 ○關文治君 花輪町關善次郎の令孫にして、幼より顛悟、小学校を出で秋田中学へ入るや、首席を 以て始終し、開校以来の良成績を以て卒業したる同兄善藏君と双璧を以て目せらる。中 学卒業後、大阪高等工業学校醸造科に学び、令兄と共に花輪町の出身にして、同地教育 界に重きを為せる加茂仁八氏に寓し、孜々として日夜怠らず、大正六年の卒業成績の如 き、同校創始以来の優良者なりとして表彰せらるゝに至る。 其後尚進んで大学に入らんと欲せしも、家庭の事情是を許さゞりしかば、辛うじて仙 台東北大学の入学試験に応ぜんとせしも、故障ありて意の如くならず。翌年再び同試験 に応ぜしも、身辺の事情、専念勉学に利あらざりしのみならず、偶同宿の友人、病に罹 りしかば、恩情成る君は百方看護に尽して、愈々勉学の時間を割きしが、遺憾にも同試 験は茲に失敗に終り、快々として楽しまず、尚仙台に止りて講学を続けん事を希望した るも、遂に意を抂げて帰郷するの余儀なきに到り、 郷里に帰り家業に従事中、昨年十一月下旬流行感冒の襲ふ所となり、平素心臓に微恙 ありし君は、就褥二三日にして遂に起たず、幾多の抱負を齎して芳魂空しく、天に帰し ぬ、悲しい哉。 君、中学より高工時代迄、終始同兄善藏君と起居を同くし、入浴に散歩に手を提へざ る事なく、懇情見るものをして羨望に報へざらしめしと云ふ。君没するや、令兄善藏君 悲嘆の余り、病を得て臥床、月余に及びしと。君、富家に生れ、比較的繋累なき二男に して、而も天成の良材を抱き、毫も志を伸ぶる能はずして夭折せしもの、天か命か抑々も また社会制度の罪哉。噫! |