鹿友会誌(抄)
「第二十一冊」
 
△亡友追悼録「立山林平君」
○四、林平さんは盆踊奨励者
 横井農学博士は盆踊博士として名高いが、林平さんは盆踊理学士とも申すべきか。毛 馬内の盆踊といへば一種特別で他のそれとは、其発達の程度を異にして居る。
 毛馬内では上流も下流も盆踊の時は、老若男女を問はず、四五百の人は大道を踊り廻 ることを以て、近郡に聞えて居る。林平さんはの踊り初めも、他の多くの毛馬内人と同 様、七八歳の頃からだらうと思ふ。学生時代は無論のこと、僕等と共に踊り日を欠いた ことは無い程の精励者であった。学生や娘子等、青年男女拾数名を集めて、思ひ思ひの 扮装をこらさしめ、自ら其統率者として、共に扮装姿で上から下と踊り廻るは、確かに 熊本高等学校教授正七位理学士たる林平さんであった。
 林平さんは、盆踊が地主と小作人の親睦機関であること、何等娯楽施設の無き田舎の 若者の娯楽機関であること、都会に於ける夜会の如く青年男女の交際機関であること、 而かも夜会よりは遥かに衛生的なること等を熱心に指摘主張して居た。

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