鹿友会誌(抄)
「第二十一冊」
 
△亡友追悼録「小笠原勇太郎君」
○最後の快談   内務省警察保局長 川村竹治
 小笠原君の学生時代のことに就ては、私は余り能く承知して居らぬ。唯君が早稲田専 門学校に居ったことと、当時かなり派手な生活をして居ったと云ふことを、朧ろ気に知 って居る位のもので、専門学校を卒業してから、同君は一年志願兵として仙台師団へ入 営したり、日清、日露の両戦役に従軍したりされた。その間自分は大概田舎生活をする し、同君の郷里に落ち着いて町治や在郷軍人会等の事業に尽力されると云ふ訳で、君と 一所に居る機会を持た無かった。
 
 処が一昨年大正七年のたしか二月頃であったと思ふ、私が青森に在任中、公務を帯び て弘前に出張し、大鰐温泉の「加賀助」旅館に投宿した。すると偶々小笠原君も同じ「 加賀助」に宿泊して居たので、図らずも久方振りに膝突き合はしていろいろ快談に時 を費して別れたが、丁度弘前師団管下の在郷軍人会長の会合があってやって来たと云ふ ことであった、是が君と最後の御名残りにならうとは全く想ひも寄らぬことで、実に痛 悼に堪へぬ次第である。
 
 小笠原君は私より一つ多いか少ないか、何でも一つ違ひだと思ふが、私などは、モウ そろそろ頭髪も鬚も白いのが出来かけて、聊か心細く感ぜられるのに、小笠原君は白髪 などは一本も見えず、何時会って見ても少しも変らず、若くって元気な男であったが、 今君を亡しなったことは、私が鹿友会の為にも亦郷里のためにも誠に遺憾なことである 。

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