鹿友会誌(抄)
「第二十冊」
 
△亡友追悼録
○高橋文雄君 本会の前幹事たる君は、本年四月横浜本牧の高橋病院に於て逝かる、君 は尾去沢の人、秋田師範学校を経て、高等師範を出で教育界の新人として頗る期待され しが、其の天分を充分発揮するに至らずして、宿痾の為に夭折さる、悲哉、君の高師時 代二ケ年に渡りて本会幹事たるや、温厚の資、周到の才、豪放なる月居君に配して能く 其の女房役たる職務を尽し、頗る適任なりとの評ありしが、今や不在、痛恨に堪ふへけ んや、左に令兄潔君より寄せられたる君の略歴を掲げて、追憶の料となしぬ。
 
  故高橋文雄君略歴
一、明治二十二年八月廿四日 尾去澤村櫻田啓八三男として生る
一、同二十九年四月 尾去澤尋常高等小学校に入学
一、同三十四年六月 同村高橋春省養子となる
一、同三十七年三月 同校高等科卒業
一、同年四月 私立鹿角郡教育会開設准教員検定準備場に入り、十月卒業
一、同三十八年四月 花輪小学校訓導に任ぜらる
一、同三十九年 秋田師範学校入学
一、同四十三年 同校卒業
一、同年四月 花輪第一尋常高等小学校訓導に任ぜらる
一、同年八月 六週間現役兵として弘前歩兵第五十二聯隊入隊、同年八月除隊
一、同四十四年四月 東京高等師範学校入学
一、大正三年三月 卒業
一、同年四月 愛媛県立師範学校教諭拝命
一、同六年五月 福島県師範学校に転任
一、七年三月依願退職
一、同年四月六日 病没

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