鹿友会誌(抄)
「第二十冊」
 
△亡友追悼録
○小笠原勇太郎君 多年小坂町長として自治体の発展に尽し、或は高等女学校の設立に 、又は同町奨学事業に、其他各種公共事業の新施設にして、君の尽力に依らざるなく、 一方在郷軍人分会長として功績少からず、我が鹿友会の先輩として終始渝りなく尽力さ れたるは、会員諸君の周く知らるゝ処なり。
 然るに君、本年五月全国在郷軍人聯合大会に参列の為上京せられしが、当時 既に健康を損はれ居りしものゝ如く、帰郷後、暫く病床に親しまれしに、病勢遽に革ま り、七月七日逝去せらる、君は恰も北部に於ける故大里文五郎君の如き位置に在り、今 後社会の為その力に待つべきもの甚大なりしに、誠に哀悼に堪へず、
 而して七月七日夜、青山幹事長宅に評議員会を催し、石田男爵以下参集したる処、図 らずも君の訃報に接したるは、浅からざる因縁とや云ふべき。

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