鹿友会誌を紐とく
第十九冊(大正6.7)
 
△「奠都五十年と東北」
 過去半世紀は吾等東北人の為には、真に屈辱の時代であった。過去に於いて西南人の 上に幸ひしたる運命の神が、次の世紀に於いて吾人東北人の頭上に勝利の栄冠を与えじと は、誰が是を断言するを得るものぞ、いたずらに悲観るを休めよ、運命開発のカギ(?) は汝の掌中にあり。
 
△「汎カヅノズムの実現 東京 川村五峰」
  − 鹿友会の過去現在及将来の為に一言す −
 (かつての秋田郷友会との合併交渉の事につき、交渉にあたった当事者である筆者が、 詳細に書き、次の旧幹事連の没交渉に不満の言)
 
△「青年と政治 犬養毅(木堂)」
 (小坂青年尚志会歓迎会に於いて)
 
△「東北と高等教育 東京 奈良一生」
  − 官報より −
 東北六県の各官立大学卒業数(東京・東北・京都・九州の各帝大)
 各高等学校卒業並びに新入学者数(第一〜第八高等学校)
 各種専門学校卒業並びに新入学者数(八専門学校)
 
 いづれの統計から見ても秋田県は劣位、尚、陸海軍方面においても五指を屈するに足 らぬ。
 かく列挙し来たれば、自己の地位や存在を忘れ、思わず秋田県人健在なりやと疑はざ るを得ない。
 官学万能主義ではないが、「式礼典儀に参列するには、相応の礼服を着用せぬと、い かんながら出られぬ」、この格言は何を意味しているか考えよう。
 
△「鹿角郡勢一斑 鹿角郡役所調査(大正四年調査)」
 現在人口 郡計六二、三八八人
 花輪8,270 尾去沢5,824 曙2,893 宮川4,022 柴平4,298 錦木2,985 毛馬内4,476  七瀧2,789 小坂20,009 大湯6,822
 就学歩合 郡計九八・一六%
 
△「文展に入選したる相川善一郎君(二十四歳) 東京 花輪町人」
 谷地田町の人、親代々の大工、朝倉文夫門下
 
△大正六年賛成員三十七名、
 正員東京五十二名・郷里九十名・地方七十七名

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