鹿友会誌(抄)
「第十九冊」
 
△故高橋志郎君と僕   毛馬内 中島莞伯
一、中学時代
 元来君と僕とは同じ系統の高橋家に生まれ居れば、小学時代より親しむべき約束にな って居るが、年齢の相違は小学校に於て能く君を知らしめなかった、君の実兄津島君は 、小学時代の僕が親友であった。
 
 丁度明治三十三年である、僕が一ケ年間懇願して拙父より漸く大中入学を許可せられ 、鬼の頚を得たる心地して、可弱き少年の歩みを妨ぐる降雪をも物ともせず、野心と希 望に勢付き、大中に向った時、君の厳父は拙父の代りとして同行せられてあった、当時 の入学者は立山林平氏外五名計りあった、而して君も其一人である、
 当時中学入学者は殆ど高等三四年の卒業生に限られてあったが、君が高等二年終了後 、直ちに入学してあった、恐らく毛馬内町に於ける嚆矢であらうと思ふ。
 
 大中時代、清い無邪気なる性格と伴に、君を名高からしめたるは、君が丈の短い点で あった、当時大中の英会話の教師たる米人クレートン先生が、渡日以来、日本語の研究 に務めて居ったが、大舘の家庭の何れへ行くも、子供二名あると、其少さい子を呼ぶに 「オンチャ」を以てするに気付き、「短き子ショルシボーイ」をオンチャと称するものと早合 点し、或時クレートン先生、得意然として君に向ひ「ユー、アール、オンチャ」と云ふ たのである、同窓の君を称してオンチャと呼ぶも、語源茲にあったのです。
 
 君は同窓立山氏と等しく、種々な趣味を有してあった、而かも何事にも秀づること亦 立山氏に能く似て居った、大中と弘前中学と庭球競技の行はれたる時、君と立山氏との 一組を以て敵の六組?を見ん事、切り破り奥州庭球界に新レコードを作りたるは、同窓 諸士の今尚ほ忘るゝ能はざる一大快事であった。君は庭球選手たる外、将棋、囲碁、カ ルタ、トランプ等、色々の遊技に秀でゝあった、若しも何事にも優績なり得る能力と天 才と定義し得べくんば、君は確かに天才肌の一人であったのである。

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