鹿友会誌(抄)
「第十八冊」
 
△故青山雅雄君
六、(欠番らしい)
 
七、余記
 君は大我侭者であって、一面に非常に公徳心の高い人であった、肺結核なる為に、 人に対座するも正視して談話せず、茶を出すも口を附けず、止むなく食事を馳走さるれ ば座敷の一隅に新聞紙を敷いて、隅に小さくなって食し、食し終れば其お膳とせる新聞 紙で皿茶碗を包み『能く消毒して下さい』と云ふて自ら片附け、家庭に於ても終に数年 食器は自ら洗うて人に任せず、死ぬ時の病室には皆、紙で目張りし、弟妹は隔離して、 看護婦の外、決して入室せしめず、唾壷の如き死の四五日以前まで、看護婦にも洗はせ ず、自ら消毒するを常とした、其公徳を重んずるの人格は、感心なものであった、
 今より思へば、君の我侭乱暴も、死ぬべき命であって、父母弟妹を諦めさせる為の神 の摂理が君に働いて居って、我侭乱暴したのであらう、死際迄の君の病気に対する遠慮 は、永く家人の涙の種となりて、袂を湿はしめて居るとの事である。

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