鹿友会誌を紐とく
第十七冊(大正4.3)
 
△発行の辞
 昔日の会員状況と今は違う。独立の生活を営む者が過半数に及ぶ。ただの親 睦会では集まらなくなった。相互に実益を享有する利害の念において集散する時代であ る。或いは政治的色彩、営利的色彩、修養的色彩、功名的色彩を帯びた会としていいの ではないか。
 
△二十七総会(大正三年二月一日)
 郷里凶作に対する応分の義捐金を本会よりするの議
 
△第百九十四回例会(同年五月二十一日)
 川村竹治氏のお話「学校卒業と就職難」
 これからの学生は、商工業、準生産増加に従事した方がいい。自分達の頃は 官私ともに法律を主としたから、苦労が多かった。今日では我鹿友会員も経済的方面を 志す者が多くなった。このことは、郷里の為にも祝すべきこと。
 
△「所感 大里周藏」
 鹿友会基金を募集し、寄宿舎でも建てて欲しい。この頃の鹿友会に対し飽き 足らぬ意見あり、一部地方会員は、本部と分離したいという者もある。
 兎も角にして会計報告が不得要領であるので、もっと明瞭にしていただきたい。
 
△「鹿角郡是 立山弟四郎」
 この頃総ての鹿角の生産業が劣え、だんだん輸入物(下りもの)が増えつゝあるのは 大変残念である。茜紫、木綿、麻布、養蚕、草木の竹細工、鹿角りんご、鉄瓶、鍛冶屋、 材木、桶屋、この様に郡を代表する生産品は一向に見えない。
 この中に著しく眼に付いてきたものがある。羽織ドロ、洋服ドロ、金時計ドロの類、 ドロボウそのものではなく、ドロボウの様に、高い教育を受けて帰郷したにも如らず何 もせずに泥虫のように喰うてばかりいる人間もいる。また農村部には小学校より中学半 途の者が「ぶらぶら」ともいうべき者も多くなった、嘆かわしい。
 
△大正四年
@在郷会員 − 賛成員二十四名・正員八十九名
A地方会員 − 賛成員三名・正員六十五名
B在京会員 − 賛成員二名・正員六十五名(学生十六名)
C女子会員 − 賛成員一名・正員二名
総計二四一人

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