鹿友会誌を紐とく 第十六冊(大正2.12) |
△通信 立山文庫設立のニュースあり。 またこの年は、大変不作の年であったようだ。収穫皆無は二百町歩、平均五分作にも いかないだろう。 それでも今年は、種苗交換会の年である。準備が大変らしい。 宿舎は高瀬(旅館)や川村(旅館)で足りなくて、大里病院とか石木田とかの家へ割 り当てたりした。また宿舎に次いで大変なのは、道路である。十一月末といえば、まだ ソリには早く、田の道は泥道に荷馬車で掘られるので、大変である。小阪を会場にした 方がよかったろうとの話はいっぱいある。 町の消息としては、花輪に「青年会」が出来たが、まだ微力である。 △二十五年記念誌のこと 鹿友会員小坂村長小笠原勇太郎氏は、二十年年記念誌を読み感想を述べた。 これに対して、湯瀬禮太郎幹事長は次のように附言した。 あたっているところもあり、あたらないところもあり、しかし、在京会員は一層の努 力をしなければならない。 第一に多集……多く集まる事 第二に多作……多く文章を作り、投稿して欲しい 第三に多銭……銭がなくては続けられず この三多主義全部の実行を望む。 △「謀反録 紅頭巾生」 種々現状鹿友会の批判をしている。しかし、書き出しは、大変謙虚に入る。 *平地に波瀾を起こさしむる事の何事に不可なるは、今更言ふ迄もなし云々。 *敢えて他意あって命名するにあらず、言ふ処の多きは先輩に反き、郷党に納れらざる 事あらん。 *思ふ事言はざれば、腹ふくるる業云々 例会の不振、奨学金貸与も単に仲介役だけではないか、会誌執筆者も四、五名である。 例会不振の原因は、いろいろあるだろうが、会費の額はたいしたことはないが、取ら れた上、先輩の分別顔を拝まされるは堪えがたき。 若い者の心と、年寄の心とが融合しないのも一つの原因では。 鹿友会は今、実際以上に買いかぶられていないか。かえってそれが大変煩しく感じる。 鹿角人程コセコセして目前の事にとらわれ、将来の発展や現状打破を考えない者はい ない。気位が高く、他の人は、「鹿友会は郡の門閥家の若様坊チャンの寄り合い」と言 っている。また人は、「鹿友会は南北対立している」と言う。これは弾丸ほくろ程の我 郡、しかもわずか数十名の在京会員の対立とは、余りにもおかし過ぎて話にもならない が、でも何か見るところあって言ったことなのかしらん。鹿角人も、今少し野心があっ てもいい。鹿友会員の中から、一人ぐらい成金が出て、鹿友会館を寄附してくれるもの が欲しい。 △「希望二ツ三ツ 中島暁雲(織之助)」 希望は二三では足りない。まだまだ沢山あるが、今回は幹事の多少の手心と会員の少 し計りの尽力によって、直ちに実行し得るものを掲げる。 一、雑誌発行回数を多くすること 一、先輩の出席を促すこと 一、夏期講演会を開催すること 例会参加者が少ないと幹事諸君が嘆くが、幹事その者(現幹事を言ふに非ず)にも吸 収力が足りないのではないか。 会に確然たる理想あり威信あって、著しく理想に進む。 △大正二年 @在郷会員 − 賛成員二十三名・正員七十一名 A地方会員 − 賛成員三名・正員六十八名 B在京会員 − 賛成員二名・正員六十名 C特別会員 − 賛成員一名・正員二名(この年より女性を特別会員として加える) |