花輪酢の元祖。 参考(出典):「鹿角のあゆみ」
花輪における酢の醸造は、今の「志屋(酢屋)」柳沢家である。……先祖は、 尾張の国から来た兄弟二人で来郡し、一人は尾去沢の田郡鉱山の、今一人(これが 柳沢家の祖と云う)は白根鉱山の開発に尽したと云う(柳沢の祖は死後、石野部落 白根山の大倉沢中長根に大倉大明神として祀られたと言い伝えられる)。この子孫は、 尾張屋を屋号として文化・文政の頃、五郎七(油屋であった)と名乗り、その子に 金兵衛、久助があった。金兵衛は関村六十郎家に奉公し、後その養子となり、豪商 佐藤庄六(佐庄:奈良庄六の項参照)の米蔵を開いた義人金兵衛 (天保五年刑死:関村金兵衛の項参照)である。弟久助(文久 元年没)が食用酢の醸造を業とした、と云う。 |