GLN「鹿角の温故知新への旅・鹿角先人列伝一覧」

曲田慶吉

 鹿角郷土誌と伝説の鹿角の著者。

参考(出典):「十和田町の先輩」
 
 曲田慶吉は、明治二十一年九月二日大湯温泉の儀助の長男として生まれた。 三十八年秋田県師範学校に入学したが、在学中から歴史や文学に興味をもち、旅行してもその土地の郷土資料を 手に入れたものである。卒業後は郡内では、花輪、小坂小学校の教頭や錦木小学校長、郡外では山本郡の種梅、 南秋の飯田川、男鹿の鹿山各小学校長に任ぜられたが、そのつど各地の郷土誌を書いている。
 
 彼はよく勤務地で旧家旧族をたずね、または祠廟、寺院に参詣し、縁起重宝を観覧して郷土資料を整え、 これを学校教育に活用した。また新聞などに投稿して郷土誌家として早く名を成したものである。 昭和の初め頃から、郷土教育が提唱され、郷土の自然、産業、伝説などが学校教育にも要求されたので、 彼は「鹿角の伝説」を秋田魁新報に二十数回にわたって掲載した。これが安藤和風によって高く評価され、 単行本として鹿角郡教育会から刊行されたのが昭和六年七月で、その序文は和風である。 ついで同年八月には「鹿角時報」に連載した「鹿角郷土誌」は二三六頁の単行本として出版された。 その序文は当時郷土教育に熱心な秋師校長和田喜八郎である。この鹿角郷土誌については、 歴史学者の栗田茂治はつぎのように評価している。
 
 この郷土誌は、「伝説の鹿角」と共に連発的な二つの巨弾で、確かに驚くべき収穫である。十三章にわたる各章に 私見を加えたいが、鹿角の学問の系統は、高橋克三氏の研究を引いてくわしく書いて有益の文学である。 また鹿角郡沿革年表は、最も骨の折れたものである。この本は鹿角郡の人よりもむしろ他郡の人が 鹿角研究の資料として立派なもので、鹿角を知るに便利な本である。(以下略)
 
 因みにこの記事の全文は、昭和六年九月十六日の魁新報にのっている。
 昭和十六年四月二日病のため没した。享年五十五歳の働き盛りが惜しまれた。

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