GLN「鹿角の温故知新への旅・鹿角先人列伝一覧」

奈良寿

 「鹿角人物誌」の著者。昭和58年鹿角市文化功労者。 「上津野」研究論文バックナンバーNO.1 ・同研究発表同NO.2同NO.10同NO.15同NO.18

参考(出典):「鹿角人物誌」
 
△鹿角人物誌 あとがき
 平成元年四月、私は市役所総務課から「鹿角人物誌」の執筆を依頼された。
 生来、悪文遅筆であるので気が重かったのだが、八十歳の老人をお忘れなく御申し付け下さった御厚志に 応えなければと思い、早速二十四名、一ケ年文のリストを提出して安請合いしてしまった。然し実際に筆を執って見ると、 そう簡単な仕事ではなかった。 第一、一回八百字という制限のもとで偉大だった先覚者の業績を御紹介することは始めから無理なことだったし、また、 私の知っていることはほんの表面だけの事であり、御遺族からお話しを承り、資料をお借りしなければ一行も 書けないことがわかった。それから資料の蒐集にとりかかった。更に後世に残ることも考え、正確を期さなければならなかった。 それで、明治初年度からの戸籍簿を見なければならなかった。市役所の全面的な御協力御支援により戸籍簿の閲覧も 許可してもらい、市内は勿論のこと遠く青森市まで調査に訪れ、資料蒐集が終るまで何時間もお待ちいただいた。 この仕事が一応完了出来たのは広報担当の皆さんや市の援助の賜である。
 
 一年はあっという間に過ぎ、予定の二十四名が終ったのであるが、意外にも市民のみなさんが良く読んでおり 期待しているとの事で、今暫く続ける様にという御要望で、二年半五十八回も悪文を皆様にお目にかける次第となった。 それから一ケ月後の五月二十四日、酒も煙も嗜まない私は考えてみたこともない中風に侵され寝たきりの生活となった。 「人物誌」は中止しようという話しもあったが、病院の懇切な治療で一ケ月位で車椅子の生活から解放され、 右手と記憶力に別条のないことがわかった。それで持ち前の闘志を振い起こし、ベットの小さな机で書き続けることが出来た。
 
 当初は後世に残る「人物誌」をと意気込んだが、病気のため調査不十分な杜撰(ずさん)なものとなってしまった。 御遺族の皆様にはさぞ歯がゆく御不満も多かったと思いますが、老人・病人に免じて御容赦下さい。市民の皆さんと 関係各位の御厚志に深謝しあとがきとします。
 尚、重要な人物の脱漏(だつろう)もあると思いますので、御心づけ下されば何かの機会に書き残して置きたいと 思いますので、よろしくお願いします。
  平成三年十月一日
        奈良寿

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