GLN「鹿角の温故知新への旅・鹿角先人列伝一覧」

田口広治:田口廣治

 農林政に尽くし、二十年PTA会長。毛馬内。

参考(出典):「十和田町の先輩」
 
 田口広治は明治二十九年九月二十一日、慶之助の長男として毛馬内に生まれた。 毛馬内小学校卒業後、大館中学に入学したが、病気のため三学年で中退した。その後京都で 療養生活をした。
 
 健康回復して大正十五年毛馬内町会議員当選を振り出しに、毛馬内町収入役、農会副会長、選管委員などを歴任し、 昭和二十六年八月毛馬内町振興農協組合長に当選し、農政の指導者として令聞があった。 昭和四十二年には鹿角郡森林組合副会長として林政の振興及び国土緑化事業の推進に尽力した。 かく農林政に尽くした功労により、秋田県農協組合長(長谷川行毅)、秋田県知事(小畑勇二郎)から表彰状を受くること 数度に及んだ。
 
 これより先、昭和二十四年四月秋田県立十和田高校PTA会長に当選以来二十年にわたり、誠意を以って校風の刷新につとめ、 校庭の拡張には、率先して私有地を提供したり、校舎の増築に当っては自ら有志の寄附金を募り、または施設の 充実を計り、これによって創業を困難を克服して「二十年会長」として尊敬された。かくして秋田県知事を初め、 東北ブロック高校PTA連絡協議会長、全国高校PTA協議会長及び文部大臣(灘尾弘吉)から表彰状や感謝状を受け、 その功労が顕彰された。
 
 昭和三十八年九月、多年夫の健康管理に専念された愛妻キミおが交通事故のため急死し、悲嘆限りなかったが、 趣味として句作にそのうつを晴らし、「きささぎ」や「十和田」に投句して、自らを慰められた。 四十年九月、亡き母の三回忌に集った九人の兄弟姉妹が、「父の句集をつくって、これに私たちの文集をあわせて 父に捧げたい」と共同企画で出版したのが、「句集花野」である。 父母に対する孝養の誠が偲ばれる。広治の一句に、
  夜の羽蟻 写経の筆に 妨ぐる
がある。
 広治は反面書家でもあった。昭和四十五年二月三日病のため永眠、享年七十四歳。

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