諏訪冨多等は、大湯温泉の観光物産開発を図るため、大正10年鳴子こけしの
小松五平を招聘して、「大湯五平こけし」を制作した。 参考(出典):「鹿角市先人顕彰館」
明治24年、宮城県鳴子温泉に生まれ、17歳でこけし工人に弟子入りして以来、 花巻、盛岡、仙台など各地で修行。大正10年、31歳のとき、観光物産開発に力 を入れていた大湯ホテルの諏訪富多に招かれて大湯温泉に来住。以後50年間、 鳴子の旧系こけしの伝統を守った「五平こけし」を作り続けた。 胴のくびれと模様は年代を追って微妙に変化するが、眼と眼の間が広がった 特徴ある表情は多くの愛好者を引き付けてやまなかった。第5回全国こけしコンクール大会 で名人位を獲得するなど、その評価は非常に高く、今に名を残す名工である。 略歴 明治24年(1891)1月14日、上埜平治・さ登の六男として鳴子温泉に生まれる。 明治40年(1907)17歳で鳴子の高橋万五郎に師事。その後各地でこけしを製作。 大正3年(1914)山形県上ノ山・小松留五郎の妹アサと結婚する。 大正10年(1921)大湯に招かれ定住、こけし製作を続ける。 昭和35年(1960)鳴子町より、鳴子旧系こけしの伝統を継ぐ工人として表彰される。 昭和38年(1963)第5回全国こけしコンクール大会で名人位を獲得する。 昭和43年(1968)大湯の奈良吉弥が五平に弟子入りする。 昭和47年(1972)11月19日死去、享年81歳。 |