郡内毛馬内村の在名による、毛馬内城主毛馬内氏は、南部氏二十二世政康の五男毛馬内靱負佐秀範を祖とする族臣とされる。菩提寺は龍雲山寶珠寺。 (参考:佐藤政治著「ふるさと散歩」)
万治元年(1658)南部氏は、再度の秋田領との境界論争に備えて、(花輪城)大身城代として毛馬内九左エ門を置き、 ニ代17年間務めた。 参考(出典):「鹿角市史」ほか
毛馬内氏系図(抄)(『岩手県史』より) 信次:南部政康五男・鹿角毛馬内2000石・毛馬内靱負佐・始南部秀範・天正十三卒六五・ 室浄法寺重房ノ女 ↓ 政次:2000石・毛馬内権之佐・慶長末年卒か・室七戸隼人正直時ノ女 直音:毛馬内掃部助・正保三卒 女:下田治太夫直勝妻 直次:三左衛門・800石・弥次郎・承応元卒八五・質大湯五兵衛昌光女 直時:毛馬内弥吉 女:南遠江康義室 女:松岡正吉室 ※政次 ↓ 政氏:毛馬内左京・寛永一九卒四七・室南部政直ノ女 女:毛馬内長次室 女:山田長豊室 女:鮫島定親室 ※ 政氏 ↓ 則氏:毛馬内靱負(ゆけい)・無嫡子断継・明暦三早世一八 ※直次 ↓ 女:大湯次郎右衛門昌吉室 長次:九左衛門・弥次郎・延宝元卒七三・室毛馬内政次ノ女 直胤:東胤改名跡ヲ継グ、寛永一四早世三四 直方:毛馬内三左衛門・慶安四卒 女:大萱生秀春室 ※長次 ↓ 女:野田左近親賢妻 定次:三左衛門・延宝四卒五三 次自 女 女 女 女 女 女 女 昌次 茂次 長囿(ソノ) ※定次 ↓ ※直時 ↓ 女:浅石次郎右衛門正俊室 女:岩間弥五兵衛貞政室 |