尾去沢出身。洋画(美術文化協)。大館郷土博物館で観られる。 参考(出典):「秋田人名大辞典」秋田魁新聞社より
大正元年12月26日〜平成5年7月20日 洋画。同郷の浜松小源太と共に、本県前衛絵画の草分けの一人。鹿角市尾去沢生まれ。 大館中から昭和七年帝国美術学校(現武蔵野美術大)に進むが一年足らずで退学。 同年「病舎」が第一回独立展入選。独立美術研究所で福沢一郎に師事。 十年第一回新造型美術展に出品した「斎日」など三点が反戦思想の理由で撤回処分。 十一年四月浜松や長谷川善四郎らとエコール・ド・東京創立会員。弾圧を避けて 旧満州に渡り奉天の協和会文化班勤務。 一方で亜土美術会創立、奉天省美術展で省長賞。二十年ハイラルの国境部隊へ 現地召集されるが、終戦でソ連、中国に抑留。二十一年引き揚げて、 大館市比内町の中学教師、四十七年定年退職。 二十二年第一回県展出品「雪中運材」が全国展に回って文部大臣賞。 三十二年師福沢一郎と新象美術協会創立会員。二十六年地元に蒼杉会を 一丹発足させている。八十一歳◇『大中・鳳鳴百年史の人びと』 |