渡部家「史料館」
 
△渡部家建築概要「住宅用家」
○沿革
@余談:建築主のこと
 六代渡部文蔵(弘化3年2月19日生)は建築に当たり、「他家に行き宴席に列した際に二間以上のとき、 敷居1本の為に上下に分けられた様に感じ、気持ちが悪いものだ。其れを無くするため一室にて客を 遇したい。当家の主なる親戚は大体40人位だから、三間半四方なれば間に合う。小座敷は静かな別棟 とする。」なる気持ちを語っていたと言う。
A万延元年(1860)父喜与太死亡に付、渡部家家督相続 文蔵15歳
B「家相見立兼絵図面」作成。慶応元年(1865)9月 文蔵19歳
C慶応3年(1867)戊辰戦争従軍(花輪御給人隊槍組組頭) 文蔵21歳
D材木は、宅地下の畑の一角に木小屋あり、文蔵の先代喜与太が各地より名巨木材を集め蓄えたもの であり、その後文蔵は集木したり、所有山林中より大材を撰び、数年間を費やして設計したる末に 建築に着手した。文蔵46歳
E明治23年(1891)11月吉日神祈祭挙行。
 大工棟梁浅利重吉、大工副棟梁熊沢春松、木挽頭桜田與七とし、大工木挽二十数名を雇い入れ 工事を進める。明治24年旧3月11日上棟式を挙行。明治25年竣工
 
○構造 木造・寄棟造り、茅葺(建築当時)
@土台石:整地土突の上、切石作り
A土台:栗
B柱:座敷は槐(えんじゅ)、其の他は栗・桂・他
C敷居鴨居:槻(つき)・桂
D小屋組:神社作り、桂・杉・松
E天井:座敷は桐、其の他は杉
F建具:襖は布張面、障子は座敷は美濃判、其の他は半紙判、台所は戸板、縁側は板戸、 其の他は窓硝子又は格子付障子
G屋根:茅葺、函屋根作り、前面奥行き二間分は柾葺(まさぶき)
H壁:内側は白漆喰、外側は砂塗り
 
○建坪(現在一間:1.818m、京間の一間:1.909m、普通一坪:3.3u、京間:3.65u)
 本屋:間口十四間、奥行き七間、ただし京間
 附属:玄関・二階
 坪数 1、2階合せて 471u(142坪)
 
○人工(にんく、一人当たりの人件費)
 大工は2353.5人工、木挽は824.6人工、左官は86人工、屋根大工は104人工、塗師は81人工、 石切工は100人工(予想)、計 3549.1人工
 1人工は30銭、人件費計 1064円73銭
住宅用家

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]