「鹿角」
 
△六 鹿角温泉巡り
<フケ(蒸)温泉>
 大湯、湯瀬の如きは郡内の温泉として、やゝ一般に知られて居るけれども、蒸温泉を 盟主としたる宮川村熊澤方面の諸温泉は、未だ周知されざる隠れたる温泉として、而も 其の湯の強烈、其の境の幽翠は、今後大に紹介に力めなければならぬものである、
 
 先づ宮川村の谷内より約二里、坂比平より十数丁の谷内川の渓間に「志張」の温泉がある、 皮膚病に特効があり、殊に「焼けど」には神のごとき奏効があると云はれて居る、浴客用の 家屋があるから、宿泊には事を欠く事がない、
 
 坂比平から一里半ばかり這入った所に「トロコ」の湯があり、茲にも湯を守って住んで 居る人がある、
 尚之れから、稍々深く入って、折ケ島川の渓間に「銭河」「赤河」の二温泉がある、
 其の昔、南部の殿様の御姫様が、名の知れぬ病の為めに、態々此の湯に来られ、山鬼に 見込まれて、前の川に陥ったまゝぬし(主)となった、と云ふ伝説が残って居る程であるから、 地は僻陬極まりない所であるに係らず、温泉の効能は昔しから能く知られたものであろう、 而も飛行機が空飛ぶ今日、尚昔のまゝ雨露を凌ぐ小屋があるばかり、清澄なる湯槽、 常に白雪を浮べて、天地旧によって悠々たるの感がある。
 
 「蒸の湯」は坂比平より約三里(八幡平の項参照)も著名であって、郡内よりも、寧ろ 北秋田、青森、北海道方面に信仰者が多く、十里の山坂を遠しとせずして、やって来る 浴客は、年々増へる一方だと云ふ(四五人以上の団体ならば、毛馬内駅より馬車を買ひ 切って谷内まで急がせ、夫れから足弱の人は馬脊に依れば、比較的容易である)、
 茲には阿部藤助氏が大きな小屋を五棟も設け、炊事道具も貸し、物資は総て実費を以て 供給するから、斯る深山にありながら、毫も不便を感じない、
 湯は硫黄泉に、〇一二九のラヂーム、塩分、鉄、アルカリ等を含み、黒褐色を帯びて居る、 尚奇なるは、其辺何所を掘っても、盛に湯気を吹き出す事で、小屋の内に蓆一枚を敷て横臥 すれば、丸で湯婆の上に寝て居る様に蒸されるのである、之が冷より生ずる諸病、婦人病等に ヒドク効験があるとの事である、
 只惜しむらくは、地は八幡平の真下の渓谿にあるが為め、 雪の到る事早く、交通も杜絶する為め、此所の湯治は、五月下旬から九月上旬迄と限られ てあるのであるが、暑中の尤盛時は、所々方々より集まった四五百人の人々が、所在なき まゝに打寄りて、おのがじし隠し芸を演じ、遠慮気兼なき深山の中の共同生活に飛んだ 「ユートピヤ」を現出することが間々あると云ふ事である。
 
 蒸の湯から西に入る事、約一里半にして「又一の湯」がある、常に強烈な硫黄泉で、 皮膚病又は傷所等を癒しには持って来いである、此湯に浴せんとする人は、直き上の 干沼から泥硫黄を掘る為めに設けられた、阿部藤助氏の又一鉱山の事務所に宿泊を頼むが 一番である、
 地は約四千尺の高所にあり、千山万岳を足下に瞰むの展望、朝風夕陽の清澄、雲煙雨露 の変化等、正に日本アルプス山中の諸温泉に比すべきものであらう。
 
 之より焼山の険を越ゆれば、仙北郡に入りて鹿湯がある、轟々と地を動かして湧上る熱湯 は、幅二間余の小川をなして流れ、笹葺きの小屋から真裸で飛び出した浴客は、其の湯の川に 浸りて、天日の下に浴を採るの光景は、正に人文以前の原始的光景でなければならない、

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