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[鹿角の遊び] |
はじめに本稿は、鹿角市立八幡平公民館・八幡平地区老人クラブ連合会発行「古里のあそびをた ずねて」を参考にさせていいだきました。 別掲「鹿角のわらべ歌(鹿角の芸文)」も併せてご覧になってみて下さい。 ジャンケンについて昭和20年代の頃までは、この地域では、いわゆる「ジャンケンポン」とは言いません でした。 第二次世界大戦終戦頃(戦中も?)は、ここ八幡平字松館(旧曙村)辺りでは、 「ワンツースリー ハラショ、ショ ショ ……(One, two, three, shoot!)」 であった。 その後、20年代後半、宮川村・曙村組合立鹿南(ろくなん)中学校に入ってからは、 確か大里辺りの生徒達が、 「ハノエッ エッ エッ ……」 と言うのであった。 彼らは沢山在籍していたので、いつの間にか、これが主流になったようである。 花輪高校に入った昭和30年代になって、ようやく「ジャンケンポン」が普及 し始めたと記憶している。 SYSOP(桜田)
参考:花輪町誌編纂資料 伝承者:花輪 武石チヱ
○ヂャンケンのうたシュッ シュカ シュー シュッ シュカ シュー ○男の子のジャンケン ドイトイドヤナ ステボウジァドヤナ ケンケンケナリ オボシナイナリ |