63 鹿角の民俗に関わり合う方々
 
                         参考:鹿角市発行「鹿角市史」
 
△松浦武四郎(文政元年〜明治二十一年)
 江戸時代末期に蝦夷(北海道)・千島や北蝦夷(樺太)などを探検した。地理学者で
もあった。北海道という名称の名付け親でもあり、樺太の文字上の命名者でもあった。
生まれは伊勢国である。
 嘉永二年(1849)三十二歳の時に松前から青森に入り、八月十九日に十和田山に参詣
した。その後ハッカノ坂から白沢に下り鹿角に入った。この十日間のことを『鹿角日誌』
にまとめてある。各地を尋ね、多彩な事項を詳しく記述している。また地形の概観を絵
図に示しており、江戸時代末期の鹿角の民俗を知ることの出来る、優れた紀行文である。
 
 
△上山守古ウエヤマヤモリコ(盛岡藩士・生年没年不詳)  万延元年(1860)八月、盛岡藩主利剛が鹿角地方を巡視したとき、中奥御小姓として 仕えていた上山守古は、約一ケ月に及ぶ事項を『両鹿角扈従コショウ日記』にまとめている。 なお、両鹿角とは、花輪通と毛馬内通を指す。  
 
△古川古松軒コショウケン(享保十一年〜文化四年)  古川古松軒は、天明八年(1788)幕府巡見使に随行し、東北地方から北海道を巡った。 その見聞をもとに書かれたものが『東遊雑記』である。生まれは備中国(岡山)で、岡 田藩の武士であった。年少の頃から地理学を好み、機会がれば各地を旅し、その足跡は 全国に及び、多くの紀行文を残している。その記録は、当時の世情を全国的な視野のも とに記述しているところに特色がある。鹿角滞在は天明八年九月三日から六日までであ るが、その間に鹿角の様子を鋭く観察している。  
 
△漆戸茂樹(?〜明治六年)  漆戸茂樹は盛岡藩の武士で、藩内の地理案内書『北奥路程記』を残している。路程図 と簡単な地誌について述べており、鹿角関係分は安政三年(1856)四月二十四日から六 月十一日まで、藩主利剛に従い領内を歩いたときの記録である。夏坂から山中沢・折戸を 経て大湯・毛馬内・錦木塚・神田・松山・土深井・十文字・尾去沢銅山・花輪・大里・大日堂・湯瀬 を通り田山へ出た。  
 
△伊藤為憲イケン(明和四年〜天保十年)  伊藤為憲は毛馬内桜庭家の家臣の家に生まれ、三十歳のときに江戸へ出た。鹿角人と して初めて江戸に出て折衷学を修め、学問の道で大成した人である。  故郷を偲び、広い知識のもとに鹿角の山河・名勝・伝承などを考証して、郷土史として まとめたものが『鹿角縁記』である。これは天保七年から九年にわたって記述されたも のである。  
 
△二階堂南竹(生年没年不詳)  二階堂南竹の書『大湯温泉略縁記』は文政十一年(1814)当時の大湯温泉の効能など についてまとめたものである。彼は秋田藩士で、大湯に来て当時の寺子屋の師匠たちを 教えた、漢学や医学に詳しい人であったと考えられている。  
 
△佐々木彦一郎(明治三十四年〜昭和十一年)  佐々木彦一郎は花輪六日町生まれで、東京帝国大学で地理学を専攻し、その後同大学 地理学教室の助手となり、講師として教壇に立った。一方では柳田国男に師事して民俗 学を学び、地理学と民俗学を結びつけた、人文地理学の分野を開拓した。故郷鹿角を題 材にし、昭和六年『山島サントウ社会誌 − 鹿角民俗誌』を著した。山島とは、地続きでは あるが他から隔てられた島のように、固有の古くからの特色が行き続けていることを表 現した用語で、これは鹿角の地域性を専門的な立場からまとめた最初の著作である。  
 
△内田武志(明治四十二年〜昭和五十五年)  内田武志は八幡平永田生まれで、幼少期を鹿角で過ごし、父の勤務地の関係で静岡商 業学校に入学したが、在学中に発病し床に伏す体となった。しかし東京に出て柳田国男 や渋沢敬三の指導を得て、民俗学の研究を続けた。昭和十一年『鹿角方言集』を発表し た。同二十年に妹のハチと共に秋田市に移り住み、同年柳田・渋沢を顧問として菅江真澄 研究会を設立し、真澄研究に情熱を注いだ。  
 
△内藤湖南(慶応二年〜昭和九年)  内藤湖南は毛馬内古町生まれで、東洋史学の世界的権威者であり、その著作は『内藤 湖南全集』全十四巻に収められている。また父内藤十湾が著した『鹿角志』を校閲し序 文を書いている。その著『日本文化史研究』は民俗学の思想にも影響を与えている。  その他郷土鹿角の民俗についても常に興味と関心を示し、明治三十一年『帰省記』を 著した。柳田国男は、湖南を尊敬していたと云う。  
 
△大里武八郎(明治五年〜昭和四十七年)  大里武八郎は花輪生まれで、若い頃に内藤湖南の学識に接し、終生変わらず湖南に兄 事した。台湾で高等法院長を勤め、退職後花輪に戻り鹿角の方言の研究に没頭した。花 輪を中心とした方言の意味や語源を調べ、昭和二十八年に『鹿角方言考』を発刊した。  
 
△瀬川清子(明治二十八年〜昭和五十九年)  瀬川清子は毛馬内生まれで、女性民俗学者である。昭和八年に海女の生活について発 表したことがもとになり、柳田国男に師事した。  日本女性民俗学の始祖とも呼ばれ、『見島聞書』などを著した。
 
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