5810柴内館跡(花輪)
 
                参考:鹿角市史編さん委員会発行「ふるさと散歩」
 
 鹿角の郷土には、昔から鹿角四十二館と云われ、数多く中世の館跡が見られます。そ
れらの館は、村の奧にあったり、山手や台地沿いにあったりですが、柴内館の場合は、
館の中を県道が横切っています。
 館の西側を西町、東側を東町と云います。
 柴内館は、いわゆる鹿角四氏のうちの安保三人衆、柴内弥次郎千三百石の居館と伝え
られています。
 永禄元年同族と共に秋田近季チカスエと誼ヨシみを通じ、同九年秋田軍の鹿角侵入が始まる
や、その陣営に加わり石鳥谷、長牛、谷内の諸城を包囲攻撃しました。
 
 県道を挟んで南側の高台が南館、北側は本モト館、北館、下モ館と続き、この地域に多
い連続多郭的タカクテキ館の形式を持っています。最近、原形を失う程土が削り取られ、南館
八幡社は跡形もありませんが、本館に山神社、眺望の開けた下モ館には二間半四面の稲
荷社が鎮座し、昔の面影を偲ばせます。
 館の西方の林の中に宿融山シュクユウザン万松寺が見えます。柴内氏開基による鹿角きって
の古刹コサツで、鹿角四氏の開いた寺院としては、今に残る唯一のものです。

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