5707元山の墓地に残されていた亡霊ボウレイ(元山)
 
                    参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角の伝説」
 
 江戸時代の遠い昔から尾去沢の元山は、その名前のように、鉱山の元山と云って大し
た栄えて来た処でした。
 ところが、大正十四年(1925)四月十九日に山火事が起きて、元山の部落へ燃えて来
ました。そして四十三軒も家がありましたが、たった四軒残って、あと全部焼けてしま
いました。また、立派な山神社サンジンジャも寺も焼けてしまいました。
 その頃、元山の家のあった下の辺りは、鉱山で鉱石を掘っていたために地盤が下がっ
たり、ひび割れしたりして危なくなっていたので、また、家を建てても、居られるもの
では無いだろう、と云うので、みんなは下の部落の方へ移ってしまったそうです。
 
 ただ、昔からある墓は山にそのまゝにして置いて、仏さんの命日の日とか、盆のとき
だけ拝みに行きました。けれども一年毎に草木が多くなり、寂れて荒れて行きました。
 そこで、このまゝにしては置かれないだろうと云うので、関係者達が集って、元山会
長(寺岡某氏)のことを先達にして、墓地を移す会を作って、円通寺エンツウジ境内に移す
ことにしました。
 そして、昭和二十三年から三年かけて、漸く移しました。
 荒れている墓を掘って骨を集めて、元山の高い処から、曲がりで急な山道を、墓石を
下ろして来なければならなかったので、とても難儀なことでした。
 
 委員の中に工藤某と云う人が居て、新掘シンボリの住宅に入っていましたが、墓地を直し
た後、毎晩バンゲ、夢枕に絣カスリの着物を着た女オナゴが、
「俺のこと忘れて置いて来ている」
と言って、恨めし顔をして立って泣くのでした。
 そこで、工藤某は、
「俺の処にだけ来ないで、代表の寺岡某の処にも行ってくれ」
と頼んだが、全く行く様子がなく、毎晩、工藤某の夢枕に現れました。
 それで、工藤某はこのことを寺岡某氏に言って、元山の墓地の跡をよく調べて見まし
た。そうしたら、萱カヤの根株ネカブの下に墓石が一つありました。
 早速、無縁仏ムエンボトケの供養塔に入れて拝みました。
 それからは全く、女は夢枕に立たなくなったそうです。
 
関連リンク 「仏閣の碑文(円通寺)」

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