5703尾去長泉寺チョウセンジの鉄山テッサン和尚(尾去)
 
                    参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角の伝説」
 
 尾去の長泉寺十九世に、東岳トウガクと云う和尚が居たそうです。
 童子ワラシの頃の名前は、鉄山と呼ばれていたそうです。鉄山は童子のとき、修行のため
花輪の長福寺チョウフクジへ小坊コボウに出されました。
 年も十九才になったある日、鉄山は何時イツものように寺の板の間を掃除していました。
そこへ寺の大黒ダイコクさん(和尚の奥さん)が焼き豆腐トウフを掴ツカむ長い箸ハシを持って来
て、板の木目キメ(隙間)から塵ゴミをほじくり出して、もっと綺麗に掃除するように言い
ました。鉄山は腹が立って、大黒さんのことを庭に投げ飛ばしてしまいました。それで
長福寺に居られなくなって、今度は、大館の玉林寺ギョクリンジへ行きました。お寺に侍
サムライが来れば刀を掴ツカんだり、触ったりして、悪戯イタズラをするのでした。
 
 ある晩バンゲのこと、寺に来た侍の刀を引っ張ったので、侍が怒って追って来ました。
それで、葦ヨシの生えている沼の中に逃げました。侍は槍ヤリを持って来て、あちこち突い
て来るために、葦をくわえて水の中へ入って仰向けになって息をしていました。侍は諦
アキラめて帰って行きました。とにかく悪たれ小坊でした。
 
 この後、長泉寺に戻って来て戊辰ボシン戦争のとき、隊長が南部吉兵衛ナンブキチベエと云う
人の僧兵ソウヘイとなって戦イクサに加わって、北秋田の方まで攻めて行ったけれども、途中か
ら能代の方から来た鍋島ナベシマの兵隊の勢いが強くて、戦に負けて退却して大葛オオクゾ(
北秋田郡比内町)の急な山を越えて戻って来ました。そのとき、薮ヤブの中から鉄山と呼
ぶ声がしたために、この辺りで俺の名前を呼ぶ者はきっと見方の者だと思って、よくそ
こら辺りを見たら、花輪から来ていた兵隊が、大葛の百姓達に捕ツカまって、手足を縛シバ
られて、なぶり殺しにされるところでした。
 そこで鉄山は、坊主頭に鉢巻して槍を扱シゴいて、突っ込んで行きました。
 百姓達は恐れて逃げて行ってしまったために、縄を切って助けたのでした。
 それで家に帰って来た人は、鉄山のことを命の恩人だと云うので、盆と正月に必ず鉄
山に礼の付け届けの物を持って行きました。鉄山はとっても強い人でした。
 
関連リンク 「仏閣の碑文(長泉寺)」

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