5500左多六サタロクとシロ
 
                    参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角の伝説」
 
 昔のこと、草木クサギに左多六というマタギ(猟師)がいました。左多六は日本中何処
ドコの土地でも猟リョウの出来る巻物(免状)を持っていました。これは左多六の先祖定六
サダロクが、今から七百年も昔、源頼朝公の富士の巻狩りマキガリで、大した手柄を立てたと
云うので、南部の殿様から貰ったもので、
「お前の子孫は、永久に天下御免ゴメンである」
と書いてある、マタギの免状です。
 左多六はシロと云う、とっても賢い主人思いの秋田犬を、猟犬として飼っていました。
 
 二月のことでした。 物凄く荒れた吹雪も収まって、冬の日にして珍しく、お日さん
が照っている日でした。左多六はシロを引っ張って猟に出て、東へ東へと歩いて行って、
四角嶽の麓フモトまで行ったとき、ふと前の方を見たら、大きなカモシカが岩の上に立って
いました。
 左多六はよく狙って引き金を引きました。カモシカは、少しの間棒立ちになったが、
雪の上に点々と血を落として、逃げて行きました。左多六とシロは、血の痕アトを何処ま
でも追い掛けて行って見たら、何時イツの間にか、鹿角と三戸サンノヘ(青森県)の境の来満
峠ライマントウゲまで来ていました。血の痕は峠の洞穴ホラアナで消えていたので、左多六は穴に
向けて一発打ちました。
 
 そのとき、三戸の方から来た五人の猟師達は左多六に、
「お前が打ったカモシカは、俺達が先に打ったのだ。返せ」
と、迫りました。そして、
「お前はどっちから来た者だ。其処ソコのお境サカイ小屋は見えないか。お前もマタギだろ
う。勝手に他の領内で猟が出来ないことは、知ってるだろう」
と、詰め寄りました。左多六はびっくり仰天して、鉄砲振り回して逃げる気になりまし
た。シロも主人を助ける気になって、五人に向かってワンワンと吠ホえたが、五人もいて
は叶いませんでした。
 
 とうとう押さえられて、無理矢理三戸城へ引っ張られて行きました。シロも、こっそ
り主人の後に付いて行きました。
 牢屋ロウヤへ入れられた左多六は、あの天下御免の巻物を忘れて来たこと、悔しくて、悔
しくて、
「ああ、あの巻物があれば、助かるのに」
とため息を吐ツいたり、涙を流したりしました。明日にでも、他の領内に入った罪で打首
ウチクビになるかも知れないと思えば、悔しくてなりませんでした。
 シロは牢屋の側に忍び込んで、やつれた主人を見て、
「ワン」
と一声吠えて、風のように走り出し草木へ向かいました。
 
 真夜中、三戸から草木まで走って走って、鉄砲の玉のように速く走りました。主人思
いのシロは、山も谷も飛ぶようにしてやっとのことで草木に着いて、火が点ツいたように
吠えました。
 左多六のお方(妻)は、左多六が三日も帰って来なかったために、案じて神様を拝ん
でいたところに、雪だらけになったシロが帰って来ました。
「シロ、どうした」
「シロ、何かあったのか」
 みんなでシロをなだめて、何か聞こうとしたが、シロはただ吠えるばかりで、食う物
も喰わないで、すごすごと戻って行ってしまいました。
 
 シロはまた、遠い山道を越えて左多六の処へ行ったが、待っていた巻物は持って来ま
せんでした。左多六はがっかりしたが、力を振り絞って、
「シロ、ほら、あの巻物を分かっているだろう。竹筒に入れてある巻物だ。仏ホトケさんの
引き出しの巻物を持って来てくれ。それがあれば俺オレの命が助かる。シロ頼む」
 牢屋の中で、涙を溜めて言う左多六の話を、黙って聞いていたシロは、やっと主人の
気持ちが伝わったためか、
「ワン」
と大きく一声吠えて、また草木に向かって、雪を蹴散ケチらして走りました。
 
 草木に着いたシロは、前よりも強く吠えました。ありったけの力を絞って、仏壇に向
かって吠えました。その声は火を吐くような声で、胸も裂けるかと思う程でした。
 左多六のお方はハッと思って引き出しを開けて見ると、猟に出るときは何時も持って
歩いていた巻物が置いてありました。お方の顔色がサッと変わりました。『これだ、こ
の免状だ』お方が震える手で巻物の竹筒をシロの首にしっかりと結んで、
「シロ、頼みます。届けてくれ」
と、背中を撫でながら見送りました。
 シロは疲れも忘れて、牢屋にいる主人左多六のために、雪の来満街道を、また三戸へ
向かって夜通し走り続けました。
 
 シロが無我夢中で来満峠を越したとき、三戸の空が白々と明けて来ました。その頃左
多六は、シロが帰って来るのを一生懸命待っていたが、とうとう巻物が間に合わず、明
けの鐘が鳴るとき、左多六の命はこの世から消えました。シロは命懸けで牢屋に着いた
ときは、主人は、この世の人でなくなっていました。お仕置場オシオキバに投げられていた
左多六を見て、シロは強く悲しんで、暫く死んだ主人の側に付いて居ました。
 それから何日かして、シロは三戸城の見える大きい森の天辺テッペンに駆け登って、其処
から三戸城に向かって、恨みの遠吠えを何日も、幾夜も続けました。この森は今でも犬
吠森イヌボエモリと云われています。
 それから間もなく三戸では、地震とか火事など良くないことばかり続いて、町の人達
は左多六の祟りであると云いました。
 
 食う物も無く、寒いのと疲れとで、やっとのことで草木に着いたシロは、哀れなやつ
れ方でした。
 左多六の咎トガのために、お上の咎めを受けた家の人達は、所払いトコロバライ(村に住め
ない)になって、村から出ることになりました。左多六のお方とシロは、南部領の草木
から、秋田領十二所ジュウニショの葛原クズワラに移って、みんなに面倒メンドウを見られて暮らし
ました。また、災難に遭った村の人達を、何回も助けたシロは、何時からか、
「老犬さま、老犬さま」
と、云われるようになりました。
 あるとき、村人が馬に乗って、村外れのこの辺りを通ったら、馬がびっくりして何と
しても歩けなくなりました。不思議と思って、その辺りを探って見ると、シロは死んで
いました。村の人達は惨いと思って、南部領の見える丘に、シロを葬りました。
 其処には今、「老犬神社」と云うお堂があって、村の人達みんなに拝まれています。
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