5302「錦木塚」(「けふのせばのゝ」より) 
 
                       参考:鹿角市発行「十和田の民俗」
 
古川(十和田錦木)といふ村につきて、錦木塚と聞しやあると尋れば、稲かる女田の中
立て、かりあげたる田の面を行て、大杉の生たるあなたと鎌さして、そことをしへたり。
としふる椙のもとに、ぬるでの木、桜の梢かへ手など、すこしもみぢたる木々生ひまぢ
りたる中に、土小高くつきあげて犬のふせるがごとき石をすへたり。これやそのかみ、
赤森の郷の辺に、月毎に市たちて家居あまたに、とみてにぎはゝしき処ありてけり。其
近となりの里に、柴田原といふにすむ、としたかき翁、いづこよりかをさなき女子ひと
りをやしなひ来りて、あがほとけとはぐくみたてて、この女ひととなりてかたちきよら
に、心なをく、あいきゃうづきて、あけくれのわざには白鳥のにこ毛をまぜて、はたは
りせばき布ををりて、その市にもて出てうるを、見る人ごとにこの女にけさう(県想)
し、又毛布のめでたさとて、われわれとひこしろひあらがひてかふ。広河原といへる里
に男ありて、世を渡るわざには楓の木、まきの木(まゆみの木ならんか、鬼筒に似たり、
犬まきとか)酸の木(勝軍木のたぐひ)かばざくら、苦木(あふちの葉に似て葉さゝや
かに長く、星のかたありて、味ひ苦ければしかいへり)この五もとの木の枝を三尺あま
りにして、一束にゆひ、なかどう木といひてけるは、仲人木といふ言葉にてやあらん。
世にいふ錦木とは、この木どもわきて色よく紅葉すれば、うべいふにやあらん。むかし
よりことごとにいへど、いかゞあらんか。ひろ河原の男、なかどう木を市路にもて行て
あきなふを人々かひて、わがおもふ女ある門のとにたつれば、女見て、わがすべき男と
おもへば此木を夜るのまにとり入るを、おや其こととしりてあはせたりといへり。千束
といふも、この木をひとつか、ふたつかといふにてもしるべし。此にしき木うり、毛布
あきなふ女のみめことがらよきに恋て、あさからず契りて夜毎に人しらず通ひ、今は人
のはゞからぬかたらひもしてんと、錦木のたかやかなるをその女の門にたつれば、女う
れしうとり入れなんとせりけるを翁とどめて、この男なせそ、よなよなあまたして立つ
るなかどう木の中にまだよき男やあらん、いかにも智あらん男をこそむこがねともなさ
めと、錦木うる男をおとしめそねみてければ、すべなう翁の心にまかせたり。日毎に重
る、いくつかの錦木はそのまゝ朽ちぬ。此こゝろをや、けぬの細布胸あはさなることに
世にはいひなしぬ。女おもへどもそのかひなう、男くれどもえあはで、物ごしにしのび、
あからさまに夜な夜なない別ぬ。翁、みそかに男の夜半にかたらふことをしりて、ひね
もすひるはねて、よるはいもねず此女をまもりて、いさゝかもとには出さず、布もうら
せず。男いかゞしてか女を見てんと、翁のまどろまんまにとうかゞへど、いとものがな
しき声に、けぢかくふくろうのなけば、翁ねざめしてしはぶきぬ。ある夜は来りて板戸
さと明て、いまはものいはんとおもふに、きつねの軒近う叫びに翁の夢おどろかいて、
ほゐ(本意)とげざりき。このことをのちにいひつたふにゃ、いま梟が谷、狐が埼とい
ふ名あり。翁ともすれば、あかしぶとて、山ぶどうのかづらの皮を縄になひ、たえまつ
として火ともし、うちふりふりうちとを見めぐれば、男くる夜もくる夜も逢がたく、こ
ゝかしこと、あらぬかたにみちふみ迷ひ広河原に帰りぬ。その行かひのすぢを、奥の細
道といひて、けふの細道といひて、風張といふ処のしたつかたに中りてあり。其通路に
涙も露もいとふかう、物うしとはらひしとて、其まゝ草の露むすぶなしと、田に在る女
どものいへるにおもひつづけたり。
 
 しら露のおくの細みちものうしと はらひし草や今もむすばじ
 
鶴田村(花輪)の辺になみだ河といふめるは、あはぬ夜毎夜毎を恨み、ながるゝなみだ
の顔をあらひたるより川の名におへりとも、又いつまで世にすみありつとも、あがおも
ふ女を見ることこそかたすらめとや思ひけん、深き林に入て此男くびれ死けり。又、そ
の川に身をなげたるゆへ、なみだ川といふともいへり。女も、ただ此男をのみ恋ひ、や
みて身はやせ、いたはり重く湯水のまれず、つゐに身まかりぬ。翁うちおどろきふしま
ろびて、かくばかりおもひふかく、せちに契しなかと夢にもしりせば、あはせてんにと
てくひなげけどいふかひなく、せんすべもなければ、親どもなくなく、男も女もひとつ
の塚の中にも、男の立つる千束の錦木とともにこめつきて、其辺に寺を建て錦木山観音
寺といひしとなん。此男女の塚のもとにたゝずみて、なきたまに手向ばやと、五もとの
木の枝の、すこしもみじたるを折て苺(苔)の上にさし、紙にむすびて、
 
 錦木の朽しむかしをおもひ出て 俤オモカゲにたつはじのもみぢ葉
 細布の胸あはざりしいにしへを とへばはたをるむしぞ鳴なる
 
といふ、ふたくさの歌をかいつけて、もとの田づらをつたひあぜみちをくれば、かの田の
面の女休らひとていふまま、しばしとて芝生に在てものがたりを聞ば、中むかしの頃まで、
ふん月のなかば、つかのうちにはたをる音の聞え、物見坂といふより見れば、かたちうつ
くしげなる女の、はたものにむかひ居て機をるを、ある士のあやしみて、此ふる塚の中に
女あらん、ほり見てんと、こゝらの人に仰て鋤鍬立てほりこぼちてのちは、まぼろしに見
えたりつるつかの俤も、さを(をさ)なぐる音もたえはてにき。さるころより、毛布をる
わばはもはら絶うせたりけるといひ捨て、又鎌とりおりたち苅ぬ。うべ「今は世に在るも
まれなる奥布のもちひられしはむかし也けり」といふふるき歌思ひあはしたり。この古河
の村をさ、黒沢兵之丞といふものの家に伝て今もをるといへば、それが宿を尋て、あるじ
のものがたりを聞に、いまはさらに鳥の毛まぜてをることはえし侍らじ。をりとして君に
奉ることあるに、そのころは、家のうちと清らかに注連ひきはへて奉る。その織る女も湯
あび、いもゐして、うみそつくりて、をりいとなむとなん。はたはりのいとせばきゆへ、
衣にぬひてはむねあらはるゝよりいふにや。今も南部布とて村々よりせばき布をり出しぬ、
此たぐひにこそあらめ。いにしへのみつぎものには、きよらかに織て奉りたるならん、此
黒沢がやに、そのかみよりをりつたへたるもゆへやあらん。「道奥のけふのせばぬののほ
どせばみ胸あひがたき恋もするかな」「おもへたゞ毛布のさぬのの麻衣きても逢見ぬむね
のくるしさ」とながめおけるも、みな此毛布郡のこの宿にをる布の、むかしをよみし歌の
こゝろ也。
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