07 へそこだま物語(小林)
参考:八幡平地区連合青年会発行「むらのいぶき(八幡平の民俗)」
小割沢には昔、長者がおりました。長者がどのようにしてこの地に住み着いたのか分
かりませんが、人里を離れるように住み、手長、足長(下男下女のこと)を使って農耕
をしておりました。村の中央にある糠森といわれる高台に住んでいたことから、糠森長
者とも言われておりました。夏井の部落からは山の陰になって、とても人の住む里があ
るようには見えず、この里を遮っていた小さな山を村人はカクレ里森と呼んでおりまし
た。この長者の子供は女の子だけであったため、娘を嫁に分けてやったことから、子分
沢長者(子を分けたの意味)とも言われておりました。
子分沢長者の一番目の姉娘が、岩崎のお不動さま(現在の岩崎神社)に嫁に行き、大
変幸せな生活を送っておりました。しかし、二人の間には何年たっても子供は生まれず、
お不動さまはとうとう妾を持つようになりました。これを知った本妻は嫉妬をおこし、
いつしか妾を亡き者にしようと思い、謀略を企て、妾の住んでいる所に流れ落ちている
小さな川の上流に潜み、機をみてなべっこ石に毒を煎じて流し込みました。妾はそれと
も知らず水を飲み、どっとばかりに川に倒れ流されたが、これを逸早く発見したお不動
さまは、意識を失い流れる妾に駆け寄り、抱き上げて数十米もある高い岩壁をよじ登り、
背負ったり、足にすがらせながら、やっと岩の上まで這い上がったのでした。
こうした謂れのあるこの大きな岩の上には、昔から大きな赤松が生えており、この赤
松には数十米下の川から藤が岩壁をつたい、更にこの赤松までもつたい上がり、今でも
花を咲かせております。藤のように花が咲いても実が成らない妻の生涯を物語っている
かのように風景であります。
この地は本妻が機ハタを織り、麻糸を裂いて繋ぎ、よりをかけて玉ダマにしたところで、
それを沢山積み重ねておいたことから、ここをへそこだまと呼んでおり、この美しくも
悲しい伝説をへそこだま物語として言い伝えているのです。
今はこのお不動さまを岩上神社と称して、林崎・樫内部落の御産土ウブスナ神社として挙
げられている。この神社から約二百米行くと、本妻と妾の住んだ所と言われるオナメ、
モトメ(元女)と呼ぶ大きな石が川を挟んで立っている。
このすぐ上に毒を煎じたと言うなべっこ石があり、鳥居を立てて祀られており、昔の
面影が偲ばれる。
ある日、このなべっこ石を夏井の故阿部某が庭石に持って来たところ、夜昼と一週間
も雨が降り続いたので、人を頼んでまた元の所に運び納めたら、雨も止んだと言う伝え
もある。
「その二」
現在の小割沢に一人の長者が住んでいた。
下男下女十人も召し抱え、あげ米が取れて、米をついた後に残った糠は、積もり積も
って糠森が出来上がるほどの長者であった。
だがある日、長者の心を射た村の娘は、長者の身も心も捉え、オナメ(妾)となって、
長者屋敷の奥深く、夢殿の人となってしまったので、モトメ(本妻)は悲しみに沈み、
子供たちを連れて山を越えて、故郷の仙北(仙北郡)に帰ることにしました。
途中、岩上神社にお参りした時、川の上流でオナメが毒を煎じて流していたのを、逸
早く見つけ、命を取り止めた。
下男下女との別れがつらく、わけても女中おふじは、モトメの袖をちぎって、「長者
屋敷こそモトメさまのお家」と引き留めたが、モトメは子供を連れて、奥山へと淋しく
消えて行った。
それから間もなく糠森に、糠は積もらず、長者屋敷も崩れ去ったという。
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