0807 道筋探訪「大柴峠」
 
 藩主巡見の際には、大明神と共に大柴峠にも御駕籠立場が設けられていた。
 大柴峠からは次第に下り坂となり、石名坂には上方の露頭から剥離した石が一面に敷
き詰められている。センノ木平、センノ木坂を過ぎると、横渡りにかかる。横渡りはそ
の名の通り福倉沢の奥の、横渡沢の沢頭に当たる長い斜面を、尾根に近く真一文字に横
断する。ここからは戸来岳や十和利山、十和田高原を見渡すことが出来ると云う。
 
 横渡りを過ぎると大登りとなる。大登りは、急な坂道が長々と続く難所の一つである。
大登り下平からハマタ坂を下って、浅繋沢へ出る。
 浅繋沢川の右岸から、尻喰坂の上りにかかる。重い荷を背負い、先行く人の尻に喰い
付かんばかりに上る姿を想像させる急坂が随所にある。上り詰めると、しばらくアイノ
原の平地が続く。幅の広いウド道(窪み道)には、一面に根曲竹が密生して歩行を阻ん
でいる。この原から与須毛堂森や犬吠森がよく見える。アケの坂を下りると山中である。
 
 山中は、大湯と関(青森県)の中間の継立場で、いわゆる荷宿であった。間口十七、
八間、奥座敷にはザシキワラシが出たと伝え語られている大きな一軒家で、今も池の跡
や伽羅(オンコ)の木などの庭木が残っている。
 鹿角産米や酒類などを付けた駄馬は、ここ山中荷宿で荷物を下ろし、八戸方面からの
鉄材や塩、塩鮫(ダンブ)・塩鮪(シビ)などの海産物を付け替えて鹿角へ向かったので
る。また郡内産銅を牛に積んで、野辺地湊へ運んだと云う。
 
 山中沢川を渡って軽井沢へ出て、武道原フトウハラの広野に至る。この区間は、路面に疎ら
な雑木が生えて、一部竹薮もあるものの比較的よく残されている。
 
 武道原を縦断して、足洗川に至るほぼ800mの旧道は、放牧地造成のため消滅している。
武道原の北側を一段低く国道104号線が走り、これまで深山を越えて来た来満街道は、よ
うやく現国道に接することとなる。
 足洗川は、与須毛堂森の沢合から流れ出て、街道を横切って大清水川と合流する。今
も武道原側の足洗川渡り口は確認することが出来ると云う。
 天正十九年、九戸落城から逃げ延びてきたさる奥方が、足を洗っているところを捕ら
えられたと云う哀話が残っている。
 
△山中駅
 アイノ原からアケの坂を下って、山中の馬継所に着く。広壮な造りの一軒家に、古人
山中(後に青山)与左エ門が住み、大阪廻銅の銅宿でもあったので、つい最近まで銅蔵
跡の地面には、緑青が残っていたと云われる。
[次へ進む] [バック]