高瀬館跡
                   参考:鹿角市文化財保護協会発行「上津野NO.28」    鹿角市花輪字堪忍沢、字浦館一帯で、本館(又は前館)、熊館、浦館を総称して高瀬 館と呼んでいます。  本館には、米代川へ落ち込む東急斜面に、幅50mもある帯郭が開け、牛頭天皇社と松軒 沢林道(花軒田への道)のそばに高瀬稲荷大明神があり、その北側に小谷を挟んで薬師 神社があります。  この館の北には熊館が並び、更に花軒田への道を挟んで北に浦館と続いています。  「鹿角由来記」によると鹿角四十二館の一つとして、「一、高瀬村高瀬土佐領知、本 名秋元館有、知行村数久保田、用ノ目、花軒田、松山、高梨子館、、右六ケ所也、居館 高瀬也」とあります。    高瀬館跡標柱には、次のように記載されています。  右側:中世鹿角四十二館の一つ。花軒田松山、用ノ目、久保田等を領す。下に高瀬村 があったが消滅した。  正面:高瀬館跡  左側:中世にかけ高瀬氏(秋元氏一族)の拠った館といわれ、古記によると一族が源 義経に従い、屋島の合戦に参加したという。
高瀬館跡標柱と高瀬稲荷大明神
高瀬館跡標注と高瀬稲荷大明神
高瀬稲荷大明神
高瀬稲荷大明神
八坂神社(牛頭天王社)
八坂神社(牛頭天王社)
鹿角の時は流れ行く
前画面へ戻る