[鹿角の時は流れ行く]
[鹿角四十二館]
 
『鹿角由来記』鹿角四拾弐館に侍四十二人居候事
一、田山村に田山左京進領地館有、後に畑山三郎領ス
一、左比内村、左比内采女領地館市に館有
 
一、湯瀬村、湯瀬中務領地、本名成田後ニ湯瀬刑部領す、本名安倍也、一戸より来り館
  有
一、長峯村、長峯下總領知本名成田館有
 
一、三ケ田村、三ケ田左近領知本名阿保館有
一、谷内村、谷内三郎領知本名成田館有、南部御先祖御下以後一戸弾正左エ門領知本名
  武田なり。九郎正友と一処に被遺なり
 
一、長牛村、秋元弾正左エ門領知館有、弾正左エ門秋田牢人後に一戸摂津領知、一戸の
  二男長牛弥四郎先祖也、鹿角の旗頭に三戸より御一門南部九郎正友被遺石鳥屋村に
  居、此時一戸摂津一処に被遺
一、夏井村、夏井但馬領地本名阿保なり館あり
 
一、長内村、長内刑部領地本名安保なり館あり(追筆)
一、白還村、白欠勘解由領知館有
 
一、石鳥屋村、石鳥屋五郎領知本名安保也、館有、後ニ南部九郎正友領ス、鹿角三百丁
  旗頭ニ三戸より被遺候
一、松館村、松館越前領知本名阿保也、館有
 
一、尾佐利村、尾佐利越中領知本名阿保也、館有
一、小豆澤村、小豆澤駿河領知本名秋持ち也、館有
 
一、大里村、大里上總領知知行高千石本名阿保、館有、京都江被遺候上使頭丹治氏
一、玉内村、玉内大炊之助領ス本名阿保、館有、津軽へ牢入ス
 
一、花輪村、花輪次郎領知本名阿保、大里上總先祖と兄弟也、花輪臥牛本舘へ移、其子
  孫村替にて九戸の円子へ知行三百石にて被遺、後ニ天正八年大光寺左エ門佐正親を
  信直公より知行三千石にて被遺也、村数花輪・尾佐利・石鳥屋・三ケ田・夏井右五ケ村
  領知、花輪村ハ大館也
一、黒土村、黒土丹後領地本名秋元、館有
 
一、高瀬村、高瀬土佐領知本名秋元、館有、知行村数久保田・用之目・花軒田・松山・高梨
  子舘右六ケ処也、居館高瀬也
一、高屋村、高屋筑前領地本名秋元、館有、秋田へ牢入以後信直公より佐藤近江知行被
  下
 
一、柴内村、柴内弥治郎領知本名阿保、知行千三百石なり、花輪治郎領知本名阿保、館
  有
一、血牛村、血牛六郎領知本名阿保、館有
 
一、中柴内村、中柴内八郎領知本名阿保也、柴内弥治郎一門館有
一、折加内村、折加内甚右エ門領知本名阿保也、柴内弥治郎一門館有
 
一、高市村、高市玄番領知本名成田、館有(追筆)
一、新斗米村、新斗米左近領知本名奈良、館有
 
一、大湯村、大湯左エ門家来領地本名奈良の惣領也、嫡子四郎左エ門二男治郎左エ門、
  三男彦左エ門、右四郎左エ門天正十九年九戸へ一味仕被生捕九戸と一処に三迫ニて
  切腹、治郎左エ門彦左エ門ハ津軽へ落行後に次郎左エ門被召出知行弐百石拝領ス、
  彦左エ門ハ津軽ニ奉公ス、大湯村後ニハ大湯五兵衛領知
一、小枝指村、小枝差左馬領知本名奈良也、館有
 
一、小平村、小平彦次郎領知本名奈良也、小枝指之末弟也、館有(追筆)
一、神田村、神田十郎領知本名成田、居館碁石館有
 
一、毛馬内町、毛馬内備中領知本名成田之惣領也、後ニ南部靱負信継領知天文年中三戸
  より被遺知行高弐千石村数毛馬内・瀬田石・大欠・赤澤・楢柏鉢(躰)・鰐口屋敷・菅生
  鉢(躰)成候、毛馬内ニ館有
一、瀬田石村、瀬田石太郎左エ門領知館有、本名奈良、後に毛馬内大学領知家来月館隠
  岐知行分志和陳時隠岐武者奉行被仰付、忠擢る月館村七百石被下
 
一、大地村、大地甚之進領知本名成田、館有
一、小坂村、小坂筑後領知本名秋元、館有、後に大湯五兵エ領知
 
一、濁川村、濁川但馬領知本名秋元、館有
一、荒川村、荒川備中領知本名成田、館有
 
一、八幡館村、秋元兵部少領知砂子澤の事、館有
一、高清水村、高清水豊後領知本名成田、館有
 
一、関上村、関上安房領知本名成田、館有
一、芦名澤村、芦名澤太郎兵衛領知本名奈良、館有、式部の館芦名澤観音札所也
 
一、草木村、奈良越後領知寺坂室田、居館丸館也
一、高梨子館村、高梨子土佐領知本名秋元、高瀬周防一門無之絶、館有、後ニ奥四郎左
  エ門領ス、この四郎左エ門糠部三戸より文明年中に来る、川原館に居す
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